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考察 2024.08.07

考え続けてきた「語り手のない語り」
それがあると考えることは論理的に不可能だ
実現不可能だ 

この世でないもの、あの世、裏、奥を見たい。無理。

作品が単に客体である限り、作品は精神とは全く関係がない。世界が関係ないように。疎外感と精神に関係を見出さなければならない。
精神は表象のモデルとして想定されているじゃないか
表象が精神を閉め出すとき、精神は苛つく。
表象が精神の表現であってはならない理由である。
それが素晴らしいものであってほしい。(?)
それが驚異的なものであって欲しい。
それが革命的なものであってほしい。(?)
伝わる/伝わらないとは関係なく、現に表現されているのか?つまらない幼稚なゴミな表現だとしたら?尊敬されない。畏怖されない。褒められない。(?)この苦痛がゴミ扱いされる。(?)

藝術は無意味を問うのだから、藝術作品は無意味でなければならない。
藝術は跡なのだから、無価値でなければならない。
藝術は無意味で無価値なので、嘲笑され揶揄され冷やかされる。

精神に関わるもの全てが、表象とセックスによって支配されている。私の中に既に入り込んでいる。人間不信。言葉不信。表現不信。
本当のものは何もない。何もかも。人との関係を築けない自分には、人間の表象はすべて偽物であり、理解できない余所者だ。

精神は深い
藝術作品に深度などない。

藝術は確かに痕跡なのだが、その痕跡を辿ることで見出されるものは虚構である。すなわち痕跡としての藝術には、「痕跡を残したもの」が虚構としてしか存在し得ない。それは空想上のものであり、その点で精神的と言える。しかし決してコミュニケーションでも自己表現でもない。
精神やエロスといった空想上の世界があり、この空想を裏切る現実上の世界があり、その延長に暴力がある。藝術はこれら3つの要素のすべてにまたがって存在する。

沈黙 は イメージではない 形象ではない なぜ 話している 存在する? 理 解 で き な い そんざい? SONZAI ? S O N Z Z Z Z Z Z い 口 イー E え あ あー えお おあ おえ あ えあ あー あえ おえ えー あー だぶあ うーうー あぁぁあ! あぁぁあ! あっあっあっ ふー ひー ふー ひー Dk・Dk・Dk・Dk

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