自己啓発セミナーに数百万かけても変われなかった私が、なりたい私になり夢をどんどん叶えるまで①~教員退職理由と宇宙の導き~
こんばんは!原田綾子です。
お正月に沖縄で海を眺めながら宇宙と繋がっていたら(笑)2023年はnoteを綴る!とひらめきが降りて来て、思い立ったら即行動!すぐにnoteの記事を書きました。
まず、この仕事をする理由を綴って…
私の子ども時代の苦悩も綴り…
今日は、教員を退職する時の事から、この仕事に就くまでのことを綴っていこうと思います。
大好きな子どもたちと過ごす毎日が幸せで、天職と思っていた教員の仕事、学級崩壊状態のクラスを途中から任されたり、ドラマティックな学級を担任することが多く(今の仕事の糧にするため?笑?私の潜在意識がそうさせてた)人の可能性を感じる楽しいやりがいのある毎日でした。
その辺のことは、膨大に書きたいことがあるので、少しずつ書いていきます。
高倍率を潜り抜け、やっと試験に合格し、埼玉県の本採用教員になった私でしたが、間もなく退職を決めた理由を書いていきます。
今では信じられない学校での話も書くので、ぜひお読みください(笑)
退職を決意した理由1・自分の好きなスタイル(賞罰の無い勇気づけの学級経営)が出来なくなった。
私の学級経営について、同僚の先生方に注意をされるようになったのです。
もっと厳しくしろ!とか、子どもたちを支持・管理しなさいとか・・。
上からガンガンしつけないとダメ的な…
いやいや、そんなやり方しませんよ!
尊敬と信頼で繋がった横の関係を築くと、経験から子どもが伸びることわかっていたので…。
※アドラー心理学知らなかったけど…アドラーに出会ったのは退職後です。
教室の掲示物も学年で揃えるように、綾子先生のクラスだけ可愛くしないでほしいとか、学級通信も校長教頭のチェックが厳しく書き直させられてばかり・・・(本質を書けない)
他にもここに書ききれないほどの事があり・・
退職を決意した理由2・女性社長の書いた本に出会い、子育てと仕事を両立し自由に生きるには社長になるのが一番いい!と思ったから
長女を産んで育休中に、ある女性起業家の書いた本を読み、すっかり興奮してしまい、そのとき退職をして起業する!と心に決めました。地元川越のスタバで決意!笑
自分で事業を始めれば自分の好きなように時間が自由に使えるんだ!
自分の好きなことを好きなスタイルでやれるんだ!
と、公務員だった私にそんな発想が今まで全くなかったので、子どもを産んだばかりでこれから教員の仕事と子育てをどう両立していこうと少々不安になっていたので、ワクワクとこれからの未来が楽しみになったのです。
子どもが帰ってきたときに家で迎えてあげたい!いっしょにおやつを食べながら今日1日のできごとを聞いてあげたい。
時間的に余裕を持つことで心にも余裕ができれば、仕事も子育ても楽しめるだろうと思ったのです。
今わたしは、子どもの長期休暇、夏休み・冬休み春休みはほぼ仕事をしていません。好きなことだけできるのって本当にいいものです。
もう大学生と中学生になった娘たちなので、手もかからないですが、部活の応援やお弁当作りなど、母親業はまだあと少し続くので^^
退職を決意した理由3・校長のパワハラ・・もう隠さず明るみにしてしまおう!封印してた信じられない悲しい出来事。
結論から書きます!
私は、長女を出産し(現在大学生)まだ生後わずかの娘を抱っこ紐で胸に抱えながら勤務校の職員室に行き、全職員の前で謝らせられました。
「こんな忙しい時期に妊娠し申し訳ありませんでした」
と言いなさいと、校長から言われ謝らせられました・・・涙。
そうでもしないと職員みんな気持ちが収まらないから全職員の前で、
学年末の多忙な時、つわりで出勤できなくなったことを謝りなさいと上司の命令に逆らえません。学校にそんな法律あったよね…
同僚の先生からもつわりがひどくて寝込んでいる中電話がかかってきてみんな迷惑しているから、赤ちゃん産んだらすぐに!すぐに!謝りに来てと・・・。
私は、謝罪当日、校長に指定された時間まで家庭科室で待たされました。
校長室には入れてもらえず・・・寒い冷たい、だだっ広い家庭科室にたった1人、私が謝罪中に娘が泣かないように授乳の時間を合わせて何とか静かに寝ているように、抱っこひもで娘の背中をトントンしながら歩き回ってたあの日のことを今でも忘れない。
泣きそうになりながら、恐怖でいっぱいになりながら、家庭科室で待っていました。小さな娘を抱っこして・・震えそうでした。今思い出しても辛くなります。
(・・・が、潜在意識がそうさせているので今は、それがあってよかった!って思っています。(*ˊᵕˋ*)詳しい解説は後ほど!)
長女の時のつわりがひどく、24時間二日酔い状態のような気持ちの悪さで、水と少しの果物しか受け付けない苦しい3ヶ月間でした。
点滴に通ってフラフラでずっとベッドの上で寝ているしかなかった。もちろん仕事は休んでいました。
私の潜在意識がどうしてこんな状況にしたのか(重度つわりになったのか)
理由があるので今度それは別記事に書きます。
面白い世界です!心の世界は!心の中を修正し、あることをしたら次女の時はつわり無かったです!
そして、
私のクラスは担任不在に。私は病気休暇を取り、ここからが大変な日々に…
普通は、教員が病気休暇に入ると教育委員会に登録をしてある臨時採用の教員
(本採用になっていない臨時的任用の教員。大学で教諭の免許は持っているから同じ待遇で働ける)を探し本採用(県職員)の教員が休んでいる間のみ臨採の教員がクラスを代わりに担任してくれます。
でも、でも、でも!!!
何と、その時初めて知ったのですが「つわり」に対してはなぜか、臨時採用教員を雇ってはいけないという謎の決まりがあり、私がクラスを空けても(病休でも)その代わりをしてくれる教員が雇えないというのです。(今は知りません。20年前の当時は、です)
なので、私のクラスは担任不在。子どもたちのことが気になります。申し訳なくて・・・毎日涙が出ます。
24時間続く(眠れないほどの)吐き気で
寝不足で、精神的にも追い込まれうつ状態になってしまいました。
(当時はアドラーに出会う前で心も脆く、体も弱く・・・)
そこで、悲しい噂が耳に入ってきます。
「這ってでも学校に来いって〇〇先生が言ってるよ!」
「つわりは病気じゃないんだから甘えているだけだ!」とか「学年末の忙しい時期に妊娠するなんて許せない!」
とみんな話しているよとか、わざわざ電話かけてくる先生も。それもわかります・・・!!!!
(あ、暗い話だけど、最後は明るいいい話になるのでよかったらこのまま読んでくださいネ!笑どんな曇りの日でも光はある!ってこと!)
わかっています!迷惑かけてるって。
だって、臨採の先生雇えないから私のクラスの授業は管理職の先生や同僚の先生方が忙しい中、やってくださっている・・・。
ただでさえ、忙しい学年末。みんな自分のクラスのことで精一杯。教員数も少ない学校。私が休むことで、負担が先生方に行く。忙しいと、心も余裕がなくなり怒りの矛先が全部私に向かったのです。
その学校で20代の新採用の教員は私のみ。30代の先生も少なく40代と50代の先生ばかり。
私は、気軽に相談できる先生も居なくて20代たった1人の採用者。孤独でした。
私はそのまま病院の点滴で命をつなぎ持病もあったので(当時はまだ体が丈夫でなく)そちらも悪化し、寝込むこと数ヶ月・・・。とうとう、追い詰められて心療内科に行くことになり毎日泣きながらの妊娠生活でした。
新年度になり校長が変わり寝込んでいるのでご挨拶だけでもと電話をしたら
怒鳴られ・・・
「話は聞いている。それでも教育者か!怠慢だ!」
と電話を切られ、また泣き・・・真っ暗闇の中、相談する人もいなかった。こういう時、どこに相談したら良いのだろう。
そして月日が経ち、長女を出産。
出産してすぐ、出産の報告と、多大なご迷惑をかけた旨をFAXで手紙を書き、職員室に掲示を頼みました。誰からもおめでとうがもらえなかった出産。
そして、謝りに来ないと大変なことになるぞ!とか職員全員に謝りなさいと校長に言われ前述したように、私は生まれたばかりの長女を胸にだき「このような時期に妊娠したこと申し訳ありませんでした」と深々と頭を下げました。
娘が落ちないように赤ちゃんの頭と体を抱えこれでもかというほど、深く深く頭を下げました。
みんな冷たい視線で私を見ており特に迷惑をかけたであろう先生に個人的に謝罪に行くと無視をされました。
他の先生からも、「なんてことをしてくれるの!」と怒られ・・・もう、育休が空けても復帰しづらい状況でした。
育休が空けて、校長のパワハラが始まりました。私だけ、学校の予定変更を聞かされていなかったり不快な言葉を浴びせられたり無視されたり完全なイジメです。
頼るところが無く、悩み、産後の体調はどんどん悪化し心も病んで行って、とうとう倒れてしまいました。
復帰後すぐに病気休暇。これでさらにバッシングがひどくなりました。
・・・・・
これは、私が悲劇のヒロインだとかわいそうな私を理解して!ということを書いているのでは無くただ淡々と事実を書いているだけです。
そして、潜在意識の視点から、なぜこんな現実が引き起こされたのか、についても書きます。
それは、私が日々、やりたい学級経営ができない(他の教員に足並み揃えろと言われる、あなたのクラスだけ掲示物がかわいいのはダメ、揃えるよう全部はがすよう言われる、など)
問題を起こす子に対して親子を校長室に呼び叱責を繰り返す上司それに私は疑問を感じ、丁寧に主張したことも。問題を起こす子を罰しても、何も変わらないからその子の良い面も見てみませんか?と。生意気と取られたのだと思います。でも言わざるを得なかったのです。
私の心が叫んでしまった。ペーペーでも言わなければ!と。
他にもいろいろ……
毎日疑問を感じながら働いていた。
こんな現場にいていいのか。でも、子供が大好き。辞めたい!でも辞めたくない。天職だ・・・。
鬱とパニックを乗り越えて、やっと手にした先生の職!
そんな迷いが、続き、ついに…
上司からのパワハラによる強制終了!!!
でも、その理不尽な扱いを上司から受けて苦しかった辛かった状況がなければ今の私はいないのです。
天職と思っていた教員を辞めなかっただろうから!!
だから、私の潜在意識が引き起こした素晴らしい経験だったのです!
だって、みんな職員が優しかったら私、今このnote書いてない。
15年間で出会った受講者様とも出会ってない。本も数万冊出回っていない(笑)海外でも10万部以上出てない。
今、小学校で教師やってるよ!だって子ども大好きだもん!だから、めちゃ苦しかったけど私の潜在意識ちゃん、ありがとう。
今の仕事の方がもっともっと楽しい!この15年間は宝物のような日々でした。
今も。きっとこれからも。
いじめてくれた〇〇先生、ありがとう。
思い出すと悲しくて辛いけど腹立つけどでも、一方で感謝もしています。
複雑だけど。笑
何が言いたいか。
それは
教員いじめのニュースもありましたよね。現場が多忙だったりストレスまみれだったのかもしれません。絶対に許されないことだけど!!!
そして私は何度も迷った。迷っていた。
怖かった。
でも時間をかけて、決めた。
勇気を出して、わたしは新しい世界に行こうと。
校長室で退職届を出し、職員玄関で靴を履き替える。
校門を出たら、後ろを振り返らないと決めていた。
振り返ると、子どもたちとの思い出が蘇りそうな気がして、ほんとうにこれでいいのかと、また考えてしまうような気がして。
まだ、自信がなかった。
ほんとうに、これでいいのだろうか、と・・・。
校長は見送りに来てくれなかったし、同僚たちも誰一人来なかった。
教頭先生が一人遠くから見ていてくれていた。
あの日のことを忘れない。あの日、涙を流しながら車を運転し帰路についた日のことを。
あの日が、私の素晴らしい人生へ続く岐路となった日。あの涙は、悲しかったけど、魂は知っていたのだろう。
これから見たこともない世界を冒険して、会ったこともないような素敵な人たちと出会う日々が始まることを・・・。
そして、私は、当時2歳の長女を育てながら、次の仕事はどうしようかと悩み、前から興味のあった心理の世界へ行くことを決意!
臨床心理士になるために動き始めました。
でも、なぜかモヤモヤ……
潜在意識からの警告です。
この心の片隅の違和感をわたしは無視することが出来ませんでした。
そこで私が取った行動とは……
これは今思うと完全なる宇宙の導きだと思いました。
〜続く〜
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