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江利チエミの母・谷崎歳子の生涯

序章 テネシーワルツの思い出

〽思い出懐かし あのテネシーワルツ 今宵も流れ来る
 別れたあの娘よ 今はいずこ 呼べど帰らない

 発売から65年、戦争の傷跡から立ち直りつつあった日本を華やかに飾った名曲として今も歌い継がれている『テネシーワルツ』(音羽たかし・詞)。1952年(昭和27)、アメリカで大流行していたこのポピュラーソングのカバーを唄ってレコード界にデビューした一人の少女がいた。
 それが、後に日本を代表するタレントとして映画・舞台・レコードと幅広い活躍を遂げる江利チエミ=本名・久保智恵美(1937-1982)であった。

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 実は『テネシーワルツ』レコーディング日(6月21日)を目前にした1951年(昭和26)6月12日、実母・と志が脳溢血で46歳という若さでこの世を去ったのである。その当時15歳であったチエミ少女は、この「テネシーワルツ」の録音時に、黒いリボンで髪を飾って亡き母を思って歌ったといわれている。
 そもそも江利チエミという芸名は母が付けたものであった。終戦直後、ジャズマン出身で柳家三亀松のアコーディオン伴奏をしていた父・久保益雄に連れられて進駐軍キャンプの慰問に明け暮れていた娘に、「お母ちゃん今まであんたに何もしてあげることできなかったから、これはせめてものお母ちゃんのプレゼントよ」(江利チエミ談)と語り、「エリー・チエミ」という芸名を与えた。「エリー」という呼びやすい名前で米兵に親しんでもらえるようにという思いからであった。

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