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追憶~冷たい太陽、伸びる月~

  • 巡る縁①

  • 第17話2014年初秋―緑の風を追って④

 翌日、佐奈子は瑚子の通う長崎市立小学校まで向かい、通学路の坂道から校門を見張っていた。

 陸上部のある小学校であれば、聖マリアンヌ女学園中等部陸上部への勧誘名目で堂々と敷地内に入れた。

 しかし長崎市立にしては珍しく、部活動のない小学校だった。その分、外部者への対応が厳しい。

 佐奈子はこの小学校に限らず、共働きの家庭が多く教育者の児童保護責任が重いのも分かりきっていた。人間としての職業経験値として、あえて交渉しなかった。

 代わりに小柄のハナサキ族二体が屋上の死角と上空から、同じく小柄のトビヒ族は校舎裏の山林に身を潜めて佐奈子の目となった。

 十五時三十分、校舎内には白衣を着た入館許可者が二人、道具箱の肩ひもを肩にかけて保健室から出た。

 この日は全学年対象の健康診断日で、どの生徒もランドセルが背中から弾んでいた。一、二年生の姿はすでに無く、五、六年生の群れが一斉に校舎から出たばかりだった。

 比較的思春期を早く迎える女子でさえ、五人程度のグループごとで遊びの計画で声が大きくなる。一日授業がないということは、この日新たに宿題が出なかったということだ。塾や習い事を控えている生徒は友人とこの後遊べないと嘆くも、声のトーンが一オクターブ高かった。

 佐奈子の同級生もやはり勉強よりも遊びたい気持ちが強かった。しかしその我を通せたのは同じ目の色同士だからであって、佐奈子には決して該当しない。

 コンタクトを着用する瑚子が人間の継母に懐いていながらも、公の場では人目を気にしなければならないことには変わりない。

 その瑚子は、一向に帰宅する気配がない。三体に指示を送ると、佐奈子の両眼が熱くなり、左右の感覚を一瞬失った。

 もしサングラスが無ければアイドル・コンサートのネオン・ライト化した両族の色彩は児童の実験台にされていたかもしれない。

 公に素顔を晒せない不審者と児童に見なされることが、佐奈子自身の幸せを保証するわけではないが。

 瑚子を待つこのときは、男女でランドセルの色が固定されていた時代が終わりつつあった。

 人間が美化する色の数々が両族の世界を変えられる幻想の中でもない。

 佐奈子の実視界内で流れる表情すべてが両族全体にとって、過去よりも幸せとは限らない。

 一体のハナサキ族が根拠を示し始めた。

 ローズ・ピンク、黒、水色のランドセルが一つずつ。緩やかな坂に続く裏門手前に留まり、瑚子と揉み合っていた。

「何なんばすっとか、村雨!」

「うちのコンタクトのことだけなら、どがん言われたっちゃよか。そいとに、なしてそこでママが悪ぅ言われんばとか!」

「だったらうちのお母さんに言え! 若過ぎるからゴサイだって言いよったもん」

「そいけん何よ? ってか今すぐ自分のママば連れて来こんね」

 乾いた音が響き、男子生徒の頬が赤く染まった。瑚子の気の乱れで佐奈子も酔いそうになり、さすがに仲介に入った。

「君たち、三対一なんて卑怯やろうが。どがん理由があってもそいはでけんぞ」

「こいつが視力検査でコンタクトば取らんけん悪かっぞ」

 黒ランドセルを背負った少年が瑚子を指さした。

「ねぇ、こんババァ、サングラスばしよるばい。変なかよね、村雨みたい」

 次にローズ・ピンクのランドセルを背負った少女が私を横目でひそひそ話を始めた。佐奈子としては、少年を相手に無理に女を出しているこの少女より、色気の欠片もない瑚子の方がまだ愛嬌を感じた。

「君たちはコンタクトもサングラスもずっと着ける必要がないかもしれんけどね、中には私のように、一日中サングラスを着けて生活をせんばならん目の病気もあると。何も事情を知らんで人を傷つけたらでけんって、その歳になればもうわかるやろ。それに相手が本当にババァであっても、そがんこと言うたら誰だって怒る(腹かえる)ばい」

 後にも先にも、彼らには諭してくれる人間に恵まれないのだろう。三色のランドセルが瑚子から走り去った。

「君もね、どんなに嫌なことば言われても暴力はようなか。怪我でもさせて、お家の人に謝らせとうなかやろう?」

「なして? ミカもホナミも、ホナミの彼氏も、もう友だちじゃなかとに」

 小学生で彼氏とは、と驚く場合ではなかった。

「そいでもでけん。とくに君はね、村雨瑚子さん」

 瑚子は驚いていた。佐奈子とは初対面で、まだ名乗ってすらいなかったのだ。

「私は百武佐奈子。聖マリアンヌ女学園って知っとる? そこで私、陸上部に指導ばしとると。村雨さん、足速かやろ。一緒に陸上ばせん?」

「でもうち、お父さんに目立ったらでけんって言われとる」

「たった今喧嘩ばして、私に声かけられたとに?」

 瑚子が唇を噛み、言いたいことが佐奈子に伝わった。だが瑚子は声に出さなかった。

 佐奈子は瑚子の視点に合わせてひざを折った。

「さっき言った、私の目の病気は本当。でも陸上選手になれたとばい。サングラスば着けたまま走れたと。もし村雨さんが陸上ばしとうなくても、コンタクトば取らんでもよかって言ってもらえる他ンことば見つけてほしかね。聖マリアンヌで。自分の気持ちとよぅ向き合おぅて、お家の人と話し合ってみらんね」

 そう言って、佐奈子は瑚子と別れた。


 両眼を通じて、新たなものが見えてきた。


 一つは瑚子の近い未来。トビヒ族としての認知と覚醒が同時に起こり、瑚子の幸せを壊す可能性。


 もう一つは佐奈子の夢。瑚子はきっと、人間としての生を望む。その幸せの一つとして、瑚子の望みを守ることである。それには親友と呼べる人間が必要だ。


 佐奈子は緑の風を求め始めた。

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