見出し画像

ヤンキーは合唱コンで歌っただけでやたらと褒められる【生後4ヶ月】

赤ちゃんは忙しい。
この世に産まれて数ヶ月というのに、検診やら予防接種やら、彼らは多忙だ。


わたしの娘も例外なく、予防接種と検診が立て続けにやってきた。

予防接種はお昼寝していたのに起こされて、さらにはチクッとされたもんだから驚いてギャン泣き。
でもすぐに泣き止んで、パパの肩から現れたり隠れたりするアンパンマンに声を出して笑っていたので安心した。

(余談だけど、赤ちゃんの予防接種は推奨のものを全て打つとなると、片腕+両太ももの3箇所になったりするので驚いた。大人でも1日に3箇所はしんどい。)


その翌週には3〜4ヶ月検診。
オム1になって身体測定から始まり、仰向けから両手を引っ張って首を起き上がらせられるか確認されたり、パッと両手を離された時に反射が出るか確認されたり、いろいろと発達状況を診てもらった。

これには終始ニコニコで、先生や看護師さん、そして私たち両親に褒められ上機嫌で終了した。



ところが、その日は「夜泣き」をした。
ギャン泣きをした予防接種の夜にはなかったのだが、上機嫌だったはずの検診の日は夜泣きした。

夜な夜な何かに怯えるように泣く娘を見て心を痛めた。ああ、ニコニコ上機嫌だったように見えても彼女は「がんばって」いたんだなと。

ついついギャン泣きした予防接種は「がんばったね」と、そう声をかけていた。
でも、泣かなかったからといって、がんばっていないわけではないよなぁと反省した。

「がんばった」という事実は、本人のアウトプットによって揺らがせてはいけない。



ここでこのnoteのタイトルなのだけど、中学生のときの合唱コンクールで、ヤンキーは歌っているだけで褒められていたなあと思い出した。皆同じように一生懸命に歌っているのに。

ヤンキーは日頃の行いが悪いから、その前提と合唱コンクールで歌うことのギャップによって、とても良いことをしているように見えてしまう錯覚を起こすのだ。


これ、アンガールズ田中がよく怒っている。「日頃から真面目にやっている奴の方が偉いに決まっているじゃん!」



この例えが同じなのかはよくわからないし、わたしの娘はまだヤンキーでも真面目ちゃんでもないのだけれど、
わたしたちは「がんばっている」事実をその他の要素によって評価を変えてしまいがち。

泣いていても笑っていても、ヤンキーでも真面目ちゃんでも、皆同じようにがんばっていることに変わりはないのだよなと思った次第だ。(結局なんの話?)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?