新成人諸君

別に子供も後輩もいない、女子シングルフリーという人生の競技に置ける初段をやっと突破した段階で、ふと新成人に向けてのメッセージを考えてみた。

① 君たちの事は、役に立つなら使いますが邪魔をするなら潰します

最近、若者に(そう見えないように見せかけつつ)嫉妬して全力で潰しにかかるおっさんたちの気持ちがよく分かるようになってきた。
そして、今にして思えば、わたしも散々年上の人たちに邪魔され、足を引っ張られてきたのだなと。

おっさん(女のおっさんもいる)たちは、君らを潰すのなんて造作もないのです。いい人でも、どこかしらそういうふうに思っていますし、思っていることに気づいていないほどナチュラルに、ここまでの社会人経験で培ってきた狡猾さと社交技術をいかんなく発揮し、いい先輩面をしながらサクッと潰してきます。

そして、君たちは潰された事にも気づけません。
そこがうまいなあ、年の功だなあと思います。

② 身体は大切に

自分の体だけは取り換えが効かないのです。が、他のキャリアとか、ルックスとか、お金とか、そういうものは全然余裕でシャッフルされます。今お金がなかろうが、ブスだろうが、スタート地点のハンデを悩む必要はありません。一発逆転が全然可能だからです。

但し、ひとつだけ替えが効かないのが、身体。
大怪我、大病など、避けられるなら避けた方がいいです。

それ以外の部分は、20代なんか余裕でひっくり返せます。
逆にいうと、私は美人だからとか、頭いいからとか、そういうのも、あっさりひっくり返されてしまうんです。
自信があるものは、早めにその自信を捨て去ってしまったほうが、傷つきません。

③ いうほど人はあなたの事を大事にしてくれない

最初にも言いましたが、若者は「使えるならありがたいけど、邪魔する(俺のプライドを)なら引っこ抜く」という目で見られることがほとんどです。
学校の先生のように、みんなを育ててくれる人がいるわけではない世界に突入していく訳ですから。

若者は大切に、という空気がなんとなく漂っていますが、実際の社会は既得権益の世界です。譲ろうという殊勝な人はほとんどいません。

これにはいい面もあって、それだけ自由なんだという事です。
自分にとってものすごく恥ずかしい事は、かなりの確率で「へー。で?」レベルにしか響きません。
逆に自分が自信があるところや無自覚なところでとんでもなく失笑を買っていることに後になって気づくんですけど、大体数年後で、その時には胸をかきむしってのたうち回るような恥ずかしさを感じる事になるのですが、正直新成人の段階では意味が分からないと思いますからスルーしてもらって結構です。

ほんと、自信があるところほど恥ずかしい事をしてるんだよね!

で、まあ、あなたの自意識については、ほとんど気にされません。
気にしてくれる親や友達みたいな近しい人よりも、遠くの存在の人が人生の中に圧倒的に増えるからです。
そういう人たちとうまくやっていく術は、後々ついてくるので、別に頑張らなくてもいいですし。

気にされていない、というのはなかなか居心地のよいものでもあります。

④ でもたまに目をかけてくれる人もいる

そんな殺伐とした社会ですが、意外にも味方になってくれる人は多いというのが20代最初の頃の特典です。

新成人の頃の最大の弱点は、才能とかセンスじゃなくて「モノを知らない」という事につきます。
平たく言えば、頭はよくてもバカなのです。
自信があるところほど、バカです。
どれだけ学校の成績がよくても、留学していても、残念だけどここはもう乗り越えられない壁。
で、そのことに気づかせてもらえない。学校で頑張れば、成績がよければ上位にいけるというシステムの中では、ほんとに自分がバカなことはきれいに隠されています。

で、そんなバカな若者を、あれこれ世話を焼いてくれる人がいるんです。

一概にこういう人とは言えず、相性の問題もあるので、引きこもり根暗系男子はおじいちゃんが、こじらせ系女子にはおばさんみたいなおじさんが、イケイケ男子はちょっとどんくさい風を装っている職場のおばさんが、そっと裏で助けてあげていたりするんです。
おばさんになってわかったよ。派遣社員だったけど、間抜けな新人君が先輩の逆鱗に触れそうになってるのをシュッと意識そらせたり(それは自分が安定した職場を保ちたいという意識が強かったせいだけど)、ダメなおじさん風の人が「○○ちゃん、これみんなに配っておいて」とかやってギリギリ人の輪に残る役割を作ってあげるとか、いろいろなやり方でダメな子たちをおじさんおばさんはフォローしています。
そういうもんなんで、礼とか言わなくてイイというか、ヘンに気負わないでいいと思います。

だけど、ほんとに厄介なことになりそうなときは、そうやって助けてくれる人がどこかにいるので、そういう人を探したり、早めにSOSを出すのが大事です。

⑤ いまの価値観が根底から揺らぐ時がスタートの時

新成人はまだまだ子供として家にいる事も多いと思いますが、すでにひとり働き始めたり、結婚していたり、子供を育てている子もいるんだろうなと思います。

働いたり、結婚して子供がいたり、って20歳では少ない方かもしれないけど、今になって思うのはそういう仕事がほんとに難しいんだなという事です。

結婚も、出産も、子育ても、ひととしての仕事なので、給料がいくらかという話じゃない部分をやっているという人は、誇りをもってほしいです。
かつてそういう生き方はマジないわと散々下に見ていた私ですが、若かろうが金がなかろうがそれをちゃんとやってることを否定される筋合いはないと思います。ヤンママでもシングルでも。
できれば、子供がいてシングルという立場になっちゃっている人は、私がいう筋合いはほんとにないんだけど、なるべく多くの人や制度を使って頼って、子供と自分にちゃんと栄養を与えてあげて下さい。
若いんだから、これからできる事たくさんある。自分がやせ細っちゃダメだと思います。

20歳の時はそいういう子をすごく見下していたけど、それは私の価値観というより親の価値観だったなと今にしては思う。

20歳は、親の価値観のまま生きてしまっていて、多くの若い子たちはものすごく保守的なおっさん臭い考え方をしていることがあります。そりゃびっくりするほど保守的。当たり前ですよ、親の考えに沿って価値観を選んでいるのだから。
でも、そこから脱却する事が、これからの最大の課題になると思います。

どう生きるかというより、自分がどんな価値観で動いているのか。それを知るのが大事だし、それを知る事は大抵根底からその価値観が揺らいでしまうような出来事に遭遇した時です。

いま持っている価値観が完全に揺らいでしまう出来事があった時、はじめて人は大人になるのだと思います。

価値観は変わります。親の価値観と別の価値観を持っても大丈夫です。
もっと言えば、社会の価値観と違うものでも、うまくやっていく方法はいくらでもあります。社会というのは、想像以上に懐が深いです。
自分が憧れる世界もありますが、同時に自分が忌み嫌う世界も同じ地上に地続きであるんです。

⑥ 苦しい事も多いけど、苦しめばうまくいくというのは幻想にすぎない

社会には「苦しんで、頑張って、そうしてつかんだ成功」という強い固定観念があります。サクッとつかんだ成功は成功とみなされないのです。
特に若い人には謎のシステムかもしれませんが、社会の風圧はそういう方向にあります。

そこから自由な若者もいるんだけど、大抵の素直なよい子は社会の風圧に沿って姿勢を変えます。

つまり、苦しむことで成功しようとするのです。

でも成功するってなかなか難しくて、苦しんだだけで終わりというケースも散見されます。

ここはねえ、もう抜け出すしかないです。
抜け出しても、苦しみという感情を失った新興宗教的なポジティブ意識高い系アフィリエイターみたいなことにはならないので大丈夫。
苦しみや悲しみという感情がなくなることはありません。
無駄にポジティブぶろうとしなくても大丈夫ですが、ネガティブにしていれば(=苦しんでいれば)成功するんじゃないかというのも、下心たっぷり過ぎる考え方だという事を、どこかで知ってください。

あっ、人が苦しんだり失敗している話を聞くのが大好きな大人はたくさんいます。特に男性は他人の失敗に快感を覚える脳内回路が強くあるらしいよ。
女性は、他人の不倫問題などに自分の苦しみをかぶせて考える自他の境界が薄いという方向で暴走する事が多いかなあと思います。共感性の高さが暴走した例ですね。

苦しい事も多いかもしれませんが、苦しいから成功するという考えは誤っています。成功する理由があるから成功するのであって、個人の主観である苦しさとかはどうでもいい事です。
ただ「苦しかったけど頑張って、みんなの応援を無駄にしたらいけないと思って」みたいな話を成功した時にチラ見せすると、周りはめちゃくちゃ喜びますので、リップサービスとして有効という事は覚えておいてもいいでしょう。


新成人を迎えた時、私は人生でかなりどん底期だったなと思います。
毎日父が暴れ、未来は見えず、腹筋が割れて見えるほど肉体労働をして、田舎でどこに行く事もできず、友達も恋人もいない。
その時のハンデは結構大きくて、なんとか家を出てきてもPTSDを起こして向精神薬の副作用でぐったりの20代前半。
やっと楽になってきたと思ったら、やっぱり実家の借金が追いかけてきて、逃げられなかったんだなあという諦観からの大逆転劇、そして絶縁。
すべては一続きになっていたのかもしれないし、そうじゃないのかもしれないけれど、20歳の時はほんとに最悪でした。
人生にいい事なんてひとつもない!と思っています。
それでも超楽しい!と思います。

最初思い描いていた夢とか将来とかは、なくなりました。水のコップに投げ込んだ角砂糖のように、あったような気がするという気配だけ残して消えました。飲んでも薄甘いマズい水があるだけです。

個人の体験は、他者にとってそれほど意味を持ちません。だから、私の個人的な体験は、あまり役に立たないでしょう。

失ったものを嘆くことも多いですが、残っているのはまずい水だけなので、消えた角砂糖の事は忘れて新しい美味しいものを探したほうが得です。
そういう損得勘定ができるようになるには、20代のうちでは無理でした。
無理でしたが、ちゃんとできるようになりました。
これを真似しても意味はありません。自分にとっての損得勘定ができなければ意味はないのです。他人のための損得勘定ができるように教育され続けてきた人にとっては人生を否定されるようなツラい事でしょうが、ほら、価値観が否定され揺らいだ時がスタートライン。

人は、さほどあなたの事なんか気にしていませんよ。
自由です。
邪魔をしたら潰されますが、そのたびに強くなることは請け合いです。
中には助けてくれる人がいます。そういうものです。

つよく生きていきたい。