時給8000円

たまたまいつもと違うパターンで外で仕事をしていた。
で、何気なく収支を計算して時給計算してみたら「時給8000円」という数字が出てきた。

時給8000円かー。

その字面の、何とも言えない様子に、少々の戸惑いを覚える。
もし普通に時給8000円といったら、すごいなーとか思うけれど、こちらは自営業なので、そこまでモノの価値を高めるのにすでに2年はかかっている。
そして、実際に時給8000円と計算しづらいものだという事も、当事者としてわかっている。

時給1200円で働いていた頃。
時給1600円で働いていた頃。
時給870円で働いていた頃。

その頃の自分の感覚なら、時給8000円はむしろ信用できないものだった。
風俗かな?とか。
どんな仕事なのか想像もつかなかった。
自分がその時給の主になるとも思っていなかった。

いざ時給8000円の日が来たのだけれど、正直感動はなかった。
時給1200円で一日中働きづめていた自分だったら、本当に感動したかもしれない。なのに、不思議な感覚だ。
そういう単位を忘れてしまったという感じだ。
通貨単位が変わったような感じ。円じゃなくて、ペソです、みたいな。

感動をしない事が少し寂しいような気もするけど、実際のところはお金ができて喜ばしい限りという事になる。

ただ全体像から見て、お金の出入りって重要だけど、ことさら喜ぶような大金ではないという事はいえます。
もちろんとっても大切な資金のひとつだけれど、100万円ぽいっと入ってくる方がうれしい。桁感が変わってきたのだろうか。

あー、でも、前も起業していろいろやっていた時、98万円とか売上が一回でできた時も、実際のところ全然どうでもよかったというか、お金は大事だし嬉しくないわけないんだけど、右から左に動かして移してくだけという感じだろうか。
レゴブロックでも、子供銀行でも、ぜんぜん同じという感じ。
(どっちかというと、某有名企業に請求書を送れるという事のほうが嬉しくて、千代田区の住所とかを丁寧に手書きした記憶のほうが強い…)

お金の流れに感情が左右されない、というと、それはないわーとは思うけれど(1億円があたったらたぶんすごくうれしいと思う)、目先のお金のことで振り回される感覚は減ったのかもしれない。

それはやっぱり、100万円が商売していると小さなお金になるという事も関係していると思う。

ビジネスをすることで、こうやって少しずつ大切なことを学ぶ機会がもらえるのだろう。

目先のお金、金額が大事なのではなく、大局に立った視点が絶対に必要という事。そして、目先のお金も当然どんな金額であっても大切にするという事を両立させること。

そこに上から目線も、卑屈な感覚も、まったく必要がない。
心は常にフラットであること。

心がフラットであることは、言い換えれば感動がないんだけど…。
でも、感動したいから商売をするっていうのも、やっぱり傲慢なんだと思う。自分が成長したいから商売をするのが傲慢そのもののように、自分が感動したいから商売をするっていうのは、ちょっと違う。
感動を売り物にしているアミューズメント系は必要な資質かもしれないけど、単に感動や成長が目的でろくな体力と精神力のない人間が起業するのは、やめた方が良いと思っている。商売は、基本に無私がある。エゴ全開でいくと、とてもツラい目にあわされる。

その無私の感覚が、ある意味最も素晴らしいともいえるのだけれど。

禅やお寺の修行の悟りにも似た瞬間が、ビジネスの中にはあると思う。
すべての人の表層ではない部分のつながりを感じるような瞬間が。
無音で、なんの刺激もない、穏やかとさえいえる、厳しい場所が。

ビジネスは、私にそういうものをくれるから、私は一生ビジネスをしていたいと思っている。

もちろん、目先のお金も嬉しいです(*´ω`*)

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