私にとってのエース、あなたにとってのエース③

※2014年5月にアメブロに投稿したものを転載しました。
 内容や感情は当時のものです。

野球においての“エース”とは、国語辞典によると「チームの柱となる投手。主戦投手。」である。

“チームの柱”となるために必要なことは何だろうか。
スポーツという性質上、まずは結果を残すことが大切だろう。

それを大前提として、エースには国語辞典に表記されない様々な条件があると思うのだが「これとこれに当てはまればエース認定だ!」という明確なものがあるわけでもない。

そこで今日は「私にとってのエース」を勝手に考えてみようと思う。

私にとってのエース、あなたにとってのエース②

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

私にとっての「エースの条件」とは何だろう。

私は、毎年決まった金額だけ昇給する給料の制度が結構好きだ。
転職がダメという意味ではないし、結果を残せば昇給する歩合制ももちろんいいと思う。

でも、同じ職場で変わらず長く勤め続けることだって大きく評価しても良いと思うのだ。

歳を重ね、少し周りが見えてきたことで、自分の未熟さを棚に上げて年長者を批判することの愚かさに気づき、尊敬する気持ちが大きくなったり、継続することの大変さを感じるようになったからであろう。

例えば、まだ未熟な後輩や部下に、時には厳しく時には優しく自分の経験で得た知識を基に的確な指導をする、なんていうのは、長年勤めた者だからこそできることだと思う。
その上で自分自身も変わらず努力し続け、何年も功績を残していくことができる人はその職場の「エース」と呼ぶに相応しいのではないかと思うのだ。


そう、私にとってエースとは

ある程度の経験値があり、
その経験で得た知識や技術を後進に分け与えることができ、
何年にもわたり功績を残している人

でなければならないのだ。


そう考えると、プロ野球がいくら実力の世界とはいえ、私の中では「1年結果を残したからといってエースと呼ぶのはまだ早いよ」となるわけだ。
具体的に何年と言うならば、まあ3年だろうか。
3年結果を残せるのならばそれはホンモノに違いないと思う。

それを踏まえると、則本の他にエースと呼べる投手がパッと思いつかない楽天や今のところエース級の投手がいないDeNAは別として、巨人の菅野をエースとするのはまだ早いということである。

開幕戦が対阪神だったことから、阪神を苦手としDeNAを得意とする内海を次カードのDeNAにぶつけたという話もあるので、巨人のフロントが「菅野ちゃんを新エースということにしちゃおうよ♪」と考えたとは思わない。

しかし、開幕投手を務めたことで、事実世間は菅野を新エースと認識し始めている。

今一度言いたい。

たとえ今結果が出ていなくても、私の中では、最優秀投手、最多勝、最多奪三振、交流戦MVP、日本シリーズMVP、など様々な功績を残してきた内海がエースであることに変わりない。

こんなに熱く内海の話をする日が来るとは思わなかった。
今まで特に注目していたわけでもなかったのに。

そして、私はヤクルトファンだが、ヤクルトの小川も同様にエースと呼ぶにはまだ早いと思うわけだ。
チームが最下位と沈んだ昨季、なんと最多勝投手となった小川。

菅野同様、エースの素質は十分にある。
現在は怪我で戦列を離れているが、今後のヤクルトの中心選手となることも間違いない。

しかし、だ。

私にとってヤクルトのエースは、石川であり館山である。
ヤクルトは右のエースと左のエースという便利な言葉を使い、二人のエースを仲良く王座に君臨させてきた。
それでも長年開幕投手を務めてきたのは左のエース石川だった。
ヤクルトというチームが平和を好むチームなので、石川と館山で迷ったときは年功序列で石川にしたに違いない。(※個人的な意見)

とはいえ、石川は3年前まで名実共にエースであったことは事実である。

2年前から不振に陥っており、昨季はとうとう館山に開幕投手の座を奪われた。
残念ではあったが、それでも左のエースから右のエースに替わっただけだ、とこちらも納得していた。
ところが、その館山が右肘靭帯断裂で昨季・今季ともに棒に振ることになったため、今季の開幕投手は小川となったわけだ。

ここ数年結果を出せていない左のエース石川、手術手術でマウンドに戻って来られない右のエース館山。
それでも私はふたりのエースの復活をもう少し待ち続けたいと思っている。

30代前半のふたり、エースの座を明け渡すのはまだ早い。

あなたにとっての「エースの条件」とは何だろうか。
一度考えてみても面白いかもしれない。

***

<終わりに>

こんなことをわざわざ書くのもなんですが、書かないとしてしまう人が出ると思うので書きます。
私は「あなたにとってのエースの条件」を考えて欲しいと思うと同時に、「誰かにとってのエースの条件」を否定しないで欲しいとも思っています。

私は「私にとってのエースの条件と、私にとってのエース」を書きましたが、だからといってみなさんが違う考えでもそれはそれで良いと思っています。

2014年、この投稿をしたのは、野球を観始めて1,2年ほどの人に私の好きな石川投手を悪く言われたことがきっかけでした。
前年のヤクルトしか観たことがないのだから、その年活躍した小川投手を褒めるのは当然ですし、私ももちろん小川投手は凄いと思います。
ただ、前年の石川投手しか知らないのに、まるで昔からヤクルトを観ていたかのような口調で石川投手を悪く言っていたことに腹が立ちました。

「昨年のヤクルトしか知らないから、開幕投手は小川投手がいいと思う」と言われれば、「それだったらそう思うよね」で済む話です。

知らないことは恥ずかしいことではありません。
知らないことを知ったかぶりすることは、恥ずかしいことだと思います。

その人にとってのエースは小川投手で良いし、私にとってのエースは石川投手であっていい。
エースの条件は人それぞれで「私はこういう理由でこの人をエースと思っている」と言えるならそれでいい。

正解はないのだから。

それぞれが野球を楽しめるような、そんな平和な世界であって欲しいです。

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