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『都市対抗野球2019』を取材した13日間、Twitterで綴った学びの日記

 7月が来ると思い出す。

 あの、胸の辺りがザワザワする感じ。
 お腹の底から何かが湧き上がってくる感じ。
 気づかぬうちに息を止めていて苦しくなる感じ。
 想像以上の出来事に思わず声が出てしまう感じ。
 何万人の声が、全身をビリビリさせる感じ。

 それは「都市対抗野球大会」でしか味わえない、中毒性のある感覚。

 毎年この時期によみがえる、その感覚。

☆☆☆☆☆

 オリンピックイヤーの(はずだった)今年、都市対抗は11月に予定が組まれました。

 とはいえ長年の習慣で、7月になると体が12日間東京ドームに通うモードになり、ウズウズしてきます。そして、そのウズウズを解消するために過去の都市対抗を漁ることになります(笑)。

 私はここ3年ほど、都市対抗の観戦・取材で感じたことなどを必ず毎日Twitterに残してきました。選手の取材内容とは別に、私の立場から見た都市対抗についてです。改めて読むと、個人の感覚ではありますが、都市対抗というものが与えてくれる学びや感情の動きが見えてきます。

 ここで、そのツイートを共有できればと思います。


【都市対抗2019 13日間の記録】
※2019年は第90回の記念大会だったため、出場チームがいつもより多く13日間ありました

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↑都市対抗の楽しみのひとつに、スタンドの人間模様があります


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↑勝負がついて欲しくないときってありませんか?
写真は「梅田学園」の応援


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↑聞いてもいないのに、自分の知識を押しつけてくる人って嫌ですよね


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↑監督の表情、声、言葉から、まるで命を削って戦っているような感じを受け、試合が進めば進むほどその感覚は強くなってきます
日本一をかけた戦いとは、それほど重いものなんだなと感じます


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↑たとえば投手の写真を撮っていると、何度撮っても寸分違わぬフォームで投げていることがわかったりします
これだ!というものを体に覚えさせる、それをまた崩して他のものを覚えさせるというのは並大抵の努力ではできないと感じます


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↑選手はこれをループしていると感じます
今この段階なんだな、と感じながら話を聴きます


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↑自分で選択することなく、周りが決めたルートで大学まで進んだエリート選手、初めて観る社会人野球とそれを取り巻く環境に衝撃を受けたようです


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↑結構本気で思っています


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↑この監督は選手引退後、いろいろな依頼を断って、わざと社業に専念する時間を数年作ってから現場に戻ったそうです


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↑このような意味のある答えが返ってくるときもあるので、その質問をする人を否定しているわけではなく、私自身はすることがないという話です


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↑本当に、毎年こう思います


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↑一部消えている下4行「~つらいこともあったけど間違いなく成長させてもらえた。都市対抗に特別な思いを抱くのは、野球をする人だけでも観る人だけでもない。」
今まで気づかなかった自分の成長を気づかせてくれた友達の「最初は何もわからなくて戸惑っていたのに、今はちゃんと取材して、知り合いも増えて居場所もできて、本当に頼もしくなったね。すごいよ」の言葉、あとからひとりで泣きました
そして、今にもプッツンと切れそうなほど張りつめた心のまま毎日取材をしていたことにも気づき、この日少し肩の力を抜きました


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↑2019年も都市対抗は最高でした
13日間通い切った自分にもお疲れさまを言いました


 ちなみに、Facebookにはこのように投稿したようです。
 試合の感想ではなく、自分が得たものの話です。

 

 都市対抗は全日程通いたいのですが、今年は明治神宮大会と被ってしまうのでどうすべきか迷い続けていてまだ答えが出ていません。その前に、新型コロナの状況次第で、取材できる媒体を制限する可能性もあり、新聞記者や野球専門誌のライターではない私は、どちらも取材できるかわかりませんが。

 死に物狂いで頑張っている人たちと接するためにはこちらも大きなエネルギーが必要で、年々気力が持たなくなってきていますが、それでも野球に関わらずにはいられないのです。

 野球場、それは私を成長させてくれる場所。

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