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欠けているところもいい

「おねえちゃんの大きい! わたしの小さい。こっち(大きい方)がいい!」
「いやいや、大きさ一緒やで」

先日、おやつの時間に次女と三女がケンカをしていた。母はカステラを等分に切り分けたつもりであるが、三女にとってはそういう問題ではないのだろう。

手元にあるものでは満足できない。
姉が持っているものの方が自分の手元にあるものよりも良く見える。

三女は今世界の見方を増やしていっているところ。
「お皿にあなたのカステラ入ってるよ」
「隣と比べても、あなたのカステラは増えないよ」
と言ったところですんなり納得はしない。

なんとかなだめて、おやつの時間をやり過ごしたのではあるが‥‥‥

脳は、無意識に「ない」ものを探しがち。

「ゲシュタルトの輪」の話がある。
きれいな輪とどこか一部分が欠けている輪だと、
欠けているところに目がいきやすいそうだ。

欠けているからこそ、意識してしまう。

「あの人にはあるのに、私にはない」

人と比べてて優劣をつけているのも、
欠けているところに目がいくと不平不満が募って苦しくなる。

子どもたちの様子を見て大人の私は気づかされる。

ないものねだりしても出てこない。
今あることに目を向けている方が幸せだと。

呼吸ができて、手足が動いて、
家族がいて、寝る場所があって、ご飯が食べられて……

自分が持っているもの、できていること
周りにいてくれる人や環境も。
失くした時に気づくことだってある。

欠けているからこそ、人と助け合えるし、
コミュニケーションを深めていける。

いつも当たり前に「ある」と思っていることに目を向けてみる。
言葉にしてみると、たくさん受け取っていることにも気づける。

おやつのカステラから
あることに目を向けようと思えるのも、子どもたちのおかげさまだなと。

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