ツイスト・アンド・シャウト

ジョンレノンが喉を潰しながらツイスト・アンド・シャウトを歌ったその日の残響はまだ鳴りやまない。

この間彼女に「ニルヴァーナって何がいいのかずっとわからなかった。なんであんな声を枯らして歌うのかしら」と言われて衝撃を受けた。これは大袈裟な言い方だけど、世の中には声を枯らして歌う音楽と、声を枯らさないで歌う音楽の2種類しかないと勘違いしてきた。

「ああ、つまり。声を枯らして歌うってのは、ツイスト・アンド・シャウトするってことなんじゃないかな」
と答えたものの自分でもそれが答えになっていないことくらいわかっている。

僕が言いたかったことを端的に言えば「声を枯らさないで歌う奴なんてとんだフェイク野郎だよ」ということだったのではないか。

逆に声を枯らして歌うというのは世の中のしがらみや、大人たちの都合の良い取り決めに対してツイスト・アンド・シャウトするってことだ。

サムクックが白人の観客を前にして歌う時と、ニューヨークのハーレムで歌う時の歌い方の違い。或いは甲本ヒロトが喉を潰したくて毎朝ウイスキーでうがいをしていた意味。ヒロトに憧れたスピッツの草野マサムネさんも同じように喉を潰したくて海でずっと叫んでいたというエピソード。

それらが意味するのは「誰もがうっとりするようなきれいな声」への強烈なカウンターとしてのロックンロールがあったからなんじゃないか、と思う。ジョンレノンは思想とかにフォーカスされることが多く、いまいち彼の声について語りなおされることは少ないけど、レノンの声はロック史に刻まれるべきハスキーボイスだ。だみ声だ。

断っておきたいのだが、今現在僕は「誰もがうっとりするようなきれいな声」の持ち主を「フェイク野郎」だなんて当然ながら思わない。スピッツの草野さんの喉が潰れなくて本当に良かったと思うし、今現在の僕のプレイリストを占めている曲に直接的にレノンのツイスト・アンド・シャウトの残響が聞こえてくるかというとかなり懐疑的だ。

それは若いころの熱病のようなもので、中学生の頃にジミヘンの「crosstown traffic」を聞いて感動しすぎて泣いた頃の僕は戻ってこない。強烈に誰かを「フェイク野郎!」と罵ってツイスト・アンド・シャウト(身をよじって叫ぶ)していたそのこと自体は──それが良い悪いに関わらず──事実であり、熱病としてのロックの一つの側面ではあるのだが……

或いは、僕が言いたかったことはこういうことだったのかもしれない。

「カートコバーンが声を枯らしながら歌うのは、ロックがかつて身をよじって叫ぶためのものだったからだよ。今では多くの人が自分の生まれ持った声質で歌うことに躊躇いを覚えることはないだろうし、そうあるべきだと思う。ただ昔日、ジョンレノンが声を枯らしてツイスト・アンド・シャウトを歌ったときのあのツイストとシャウトは今でもずっと響いているんじゃないかな。しゃがれ声やだみ声のような形だけのものではなくなって、もっと地底にマグマが渦巻くようなラディカルな在り方で」


もしよかったらもう一つ読んで行ってください。