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遊女を護る人々/取材記(2022/11/16)/石川県小松市串茶屋

石川県小松市串茶屋町に、地元の遊廓史料を収集、保存、展示している全国でも珍しい資料館「串茶屋民俗資料館」があります。地元の遊女が遊客宛にしたためた近世期の手紙53通を始めとして、実際に遊女が着用していた簪や高下駄、朱塗りの食器類など、貴重な一次資料を多く所蔵しています。

小松市串茶屋町は、かつて北陸街道の宿場・串茶屋があり、ここに残る遊女の墓を取材してきました。

「遊廓の歴史を残すことは難しい」、これは取材する中でよく聞く言葉です。当noteでも何度か扱ってきました。

しかし、全国各地には遊廓の歴史を代々引き継いで、積極的に残そうと影ながら努力を続ける人々がいることはあまり知られておらず、また、遊廓にまつわる言説が含む刺激性ばかりが求められ、そして消費される現代では、仮に彼らの努力が伝えられても、あまり関心が払われてこなかった印象があります。今回は「遊女を護る人々」について、お伝えします。

街道筋にある宿場の娼家・娼街、すなわち飯盛旅籠と聞くと、広重が描いた甲州街道・新宿や東海道・品川がまず思い浮かびます。強引に客を引っ張り込むことから留女とも呼ばれた飯盛女。強引な理由を女の粗暴に求める短絡や、そうしなければならなかった女の背景に目を向けてこなかった短慮はさておき、現代人の私たちは、いかにも猥雑なムードを備えた娼街を連想するのではないでしょうか?

歌川広重『東海道五十三次之 御油』

が、当地の遊女は大聖寺藩の藩士も客筋として和歌や文を嗜む教養を備えていたことや、娼家間では競争よりむしろゆるやかな協力関係があったことなど、やや性格を異にしていたようです。渡辺憲司『江戸遊里盛衰記』に詳しいので、興味ある方はこちらを手に取って下さい。

実は2021年2月にも当地を訪ねたことがありました。冬季は、墓石にしみこんだ水分が凍結膨張を繰り返すことで、石碑表面が剥落していくなどの風化が加速します。これを遅らせるため、遊女の墓石群にはブルーシートが覆い被せられてて、そのとき私は墓石を観ることは叶いませんでした。

拝観できなかった心残りから、改めてブルーシートに覆われていない状態を見てみたかったことは勿論ですが、遊廓の歴史に対する各地域の向き合い方に興味が湧いてきた最近の私は、むしろ覆われている状態や、保存のために陰ながら努力を続けている関係者の想いに関心を覚えて、あえてこの時期に再度尋ねてみることにしました。

現在、遊女の墓は同町の共同墓地一角にあり、私が訪ねた11/16は、最低気温が0度を下回る季節が訪れようとする時期で、およそ30基の墓石やその他石造物それぞれは、既にブルーシートで覆われていました。

約30基の墓石群。これらはすべて遊女の墓であり、遊女の墓とされるものは小ぶりな墓石が多い中で、造りも大きく、全国に類例がない。(写真・渡辺豪、無断転載禁止)

一言で「ブルーシートで覆う」といっても、凹凸があり、それぞれ形状や高さが異なる石碑に平面のシートを掛ける作業は、相当な苦労があることは事前に想像はしていました。が、私の想像は部外者の安易な憶測未満のものでしかありませんでした。一概に墓石といっても塔のように高さのあるものまで形は様々であり、そうした墓石の段差に沿わせて隙間から雨水や湿気が入らないよう、丹念に紐で3段に縛り上げるなど、丁寧な仕事ぶりに胸を打たれました。

串茶屋民俗資料館(小松市串茶屋町30-1)は、同町内会事務所に併設されています。平時は無人で、入口ドアに管理人の電話番号が掲げられています。そこに電話すると、近所から管理人さんが駆けつけてくる運用となっています。私の電話に駆けつけて下さった館長・河端藤男さん(68)にお話を聞きました。

河端さん(以下、河端)「今年は私が15基ほど一人でブルーシートで覆いました。とはいっても、一人だと6基くらいを3時間ほど作業するとバテてしまう。3日間ほど作業して、残りは町内会役員が11名いるので、彼らに集まって貰って、残り2日間くらいで仕上げしました。去年まではもう一人の管理人である、上野さんが全部一人でやっていたんですよ」

現在、同館の管理は、町内会長の河端さんと、世話人の上野元芳さん(79)の、たったお二人で担当しているという。

串茶屋町内会長と串茶屋民俗資料館長を兼任する河端さん。前職は金融関係で、郷土史の知識は独学で学んでいるという。(撮影・渡辺豪、無断転載禁止)

河端「ブルーシートだけではなく、撥水剤も墓石に塗っています。いつかは朽ち果てるでしょうが、できるだけ長持ちさせたくて。ところが残念なことに、先日も地元の小学校の6年生が見学に来ましたが、先生からは『御小休所のみ児童に伝えて、遊女には触れないでくれ』と言われました。6年生に遊女の墓を説明したところで、良いのか悪いのか、正直な話まだ私には分かりません」

同館は明治天皇が明治11(1878)年に北陸巡幸した際に休憩所としても利用されている。それに関連する資料や、加賀藩お抱え絵師の佐々木泉景が描いた天井画なども残っており、遊廓の史料と併設して展示している。そのことから上記のような対応があったようだ。私個人は、先生から遊女の歴史について説明を避けるよう依頼があったことは致し方ないと考える。知識は万能では無い。中途半端な知識はかえって偏見や差別を生みさえする。ただし、これまで半世紀以上にわたって、遊女の歴史を残そうと努めてきた想いを蔑ろにすることも、あってはならない。その意味で、河端さんの落胆にも共感できる。

河端「本当は小松市が管理すればいいのかもしれません。実際、遊女の墓も小松市の教育委員会が指定文化財として認めている。その他についても文化財の指定や登録を受けたくて、文化財課へも何度も足を運びましたが、答えは全然『ノー』。風俗や女性の地位の低さとか、そういうことになると途端に『ノー』になる。小松市はいわゆる『勧進帳のふるさと』として、お祭りに関しては湯水の如くお金を掛けているのに。『遊廓や遊女のことを世間に知らせてどうなるの?』と。そういう考え方です」

遊女の墓や同館を管理維持するコストについて聞いてみた。

河端「遊女の墓は文化財指定を受けているので、撥水剤は半額が補助されました。その他の民俗資料館に掛かる水道光熱費などすべて町内会費から捻出しています。この建物は文政12(1829)年に建てられたもので相当古いので、ところどころ傷んでいます。漏電や雨漏りが一番怖いので屋根裏配線や屋根自体も改修が必要になりましたし、外壁や雨樋、床下もメンテナンスしました。全部で640万円必要になりました。私は役所に40回くらい通って、ようやく何とかなった。でも文化財関連の予算からは出ずに、地域振興課が設けている助成制度で、コミュニティ施設を整備する、という名目で半分出して貰った」

同館のコストは町内会費で賄われている点からすれば、私設といえる。加えてその意味で、日本唯一ともいえる私設遊廓ミュージアムだが、維持管理する労力やコストは町内会や個人が負担している。これを超える負担は、役所への日参が必要になる。河端さんたちの努力によって、改修費が捻出されたが、陳情を重ねなければならないということは、見方によっては、史跡・史料の保全がまったくの人次第、すなわち属人化していることでもある。河端さんたちの努力と執念に敬服すると同時に、これを単なる美談で片付けることはできない。

河端「一番の心配は今後のことです。もし町内会の管理をギブアップしたら、今度は小松市が代わって管理することになる。展示物を小松市が持って行ってしまうことになる。小松市の文化財を管理する担当者から『文化財にする代わりに、(史料を)くれ』とも言われた。これまで代々私たち串茶屋町が守り通してきたことが0になってしまう。だったら文化財指定にならなくたっていい、とさえ思っています」

遊廓の歴史を残すことについて、社会全体や地域社会で理解を得ることの難しさがしばしば語られる。最後にいちばん伝えたいことは何かを聞いた。

河端「人身売買の歴史を美化するつもりは全くありません。だたし、社会の一コマだったんです。かつて女性の人権が極めて低かったという事実が、私たちの社会の一コマだったことを語り残したい。どれだけ残す努力をしても、墓はいずれは朽ち果てます。ただ、それをできるだけ先に延ばしたいんです」

同館の管理人を務めている、もうお一人の上野元芳さんにも、後日、電話でお話を聞いた。

上野元芳さん(以下、上野)「ブルーシートで保護する取り組みは平成23年から始めました。文化財修復を行う京都科学という会社に以前はお願いしていましたが、そこに撥水剤についても教えて貰いました。天候が良くて、気温20度前後の時期が一番いいので、見計らって、春秋冬の年3回ほど塗ります。ブルーシートは冬季だけでは無く、撥水剤を塗った直後も、よく浸透させるために覆う必要があります。外すときは、シートを乾かしながら行うので、実はもっと時間が掛かります。2週間くらい」

ブルーシートは事前に知っていた冬季だけではなく、撥水剤を塗るタイミングで年3回も掛け外しが必要だった。撥水剤は一斗缶が9万5千円くらいで、3年に1缶のペースで消費するという。前述の通り、遊女の墓に関連するコストは小松市から半額助成して貰っているが、それでも1缶約5万円のコストが生じる。

以上、同館の管理人を務める河端さんと上野さんに伺ったお話です。この場を借りて河端さんと上野さんにお礼申し上げます。

文化財指定・登録と寄贈を引き換えにするかのような発言について、とても驚きました。またそれに対して「文化財指定(登録)を引き換えにしたくない」と仰ったときの河端さんに気圧されました。社会的地位や学識の有無などを超えて、誰かの評価に日和見せずにコツコツと努力を重ねてきた人だけが持ち得る尊厳というものが必ずあると私は考えていますが、それに触れた思いでした。

今回は町内会からの聞き取りのみの一方通行なので、行政側の対応についての是非を判断する材料は私にはありません。が、この話を聞いて、興味が湧いたのは次の本です。


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