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若い世代に継承することと朗読コンテンツをつくること

若い世代に──

などと大上段に構えるのはおこがましいのですが、私たちより上の世代(例えばここでは父母、祖父母つまり売防法施行後の世代としましょう)が遊廓の歴史について積極的に伝えてきたとは言い難く、いま私なりに苦労しているだけに、次の世代にはこれ以上迷惑や苦労をかけたくない、せめて残されている分だけでも…、という身の丈に合わない願いが私にはあります。

その意味でも、2010年前後から視覚資料としての写真に娼街を収めるべく全国を取材したり、文献の復刻、販路の確保などを手掛けてきました。

それらとは別の角度からおよそ10年ほど温めてきて、ようやく昨年2022年末から具体的に稼働させてきた企画があります。掲題にある朗読コンテンツです。遊廓を始めとする性売買を材に取った文芸作品は多くありますが、これらを朗読したデジタル・コンテンツの配信です。

桜の便りが聞こえてくる頃にはある程度カタチになり、お披露目できるものと思いますが、先立って本稿では企画意図について綴ってみたいと思います。

映画が観られない、ここ10年

ところで、スマホを使い始めて以来、私は映画が観られなくなりました。映画館は別にしても、自宅でネット配信される映画を観ていると、どれだけ好きな作品であろうとも、ついスマホを触ってしまいます。集中して観られない→充分に味わえない→鑑賞が億劫になる、といった悪いスパイラルにはまっている、ここ10年です。

なぜスマホを手放せないのか? 無料アプリはほぼすべて広告収益に依存するビジネスモデルです。ゲームではわざと間をあけて数分おきに操作を要求したり、情報系のアプリでは不要とも思える頻度でしきりに通知を表示したりして、ユーザーのスキマ時間にスマホを使わせようと仕向けます。「可処分時間」という用語がマーケティング業界でいつごろから言われるようになったのか分かりませんが、スマホが登場して以降、可処分時間の断片化が起きています。

一つのコンテンツに集中して向き合うことに困難な時代が訪れました。この傾向は今後よほど革新的なテクノロジーが生まれない限り、増すことはあれ、後戻りはしないと予想します。

可処分時間が断片化した今様コンテンツ

スキマ時間でそれなりの満足を与えてくれるスマホに比して、およそ2時間もの時間を消費して、しかも観終えるまで満足の有無が分からない映画(映画って「どんでんがし」をやりたがりますし、結末の余韻次第で評価が分かれますしね)のようなコンテンツは、観ることを身構えてしまうようになりました。これは本も同様です。長編作品ともなれば映画以上に時間を消費するコンテンツです。

2020年に出版社イーストプレスさんから機会を頂戴して、赤線があった当時に創作された短編などでアンソロジー『赤線本』を編みました。本書の企画はアンソロジーありきでスタートしたのではなく、読者の時間を可能な限り占有せず、しかも赤線の歴史やそこから生まれた創作物に親しんでもらいたいという私の発意から出発して、短編すなわち消費時間が最小限なコンテンツを収録できるアンソロジーという構成を選んだのでした。

『赤線本』のはしがきにも同趣旨のことを記しましたが、作品の普遍性はいささかも失われていないと確信する一方で、私たちを取り巻くテクノロジーやメディアといった環境が激変したことで、本(活字)はかなり縁遠いものになりました。

私のように成人以降にネットやスマホを持つようになった世代でもこの有様ですから、生まれたときから持つ世代にとっては、より顕著なはずです。これまでにもnoteで遊廓史の継承についてあれこれと綴ってきました。次の世代にどうすればうまく継承できるのか妙案は浮かばず考えあぐね続けていますが、「若者のスマホ中毒」「活字離れ」と嘆いていても始まりません。

可処分時間を消費しない聴覚メディア

話をメディアの盛衰に戻すと、ではここ10年間、スマホの登場によってオールドメディアが一掃されたのかといえば、そうとも限らず、むしろ再評価されたメディアもありまます。

2011年に起きた東日本大震災では、普及しつつあったスマホが活躍した一方で、久しぶりにオールドメディアであるラジオに耳を傾けた人は多かったのではないでしょうか。私もその一人です。

甚大な被災を被った人は瓦礫を片付けながら、被災が軽微だった人は被災地を案じて日常の手を動かしながら──

もちろん乾電池数本で数十時間動作する省エネ性が災害時に重宝されたこともありましょうが、当時すでにスマホを用いてラジオを聴取できる環境が整っていたことを考えれば、むしろラジオの電気的構造よりも、「ながら」ができるメディア的特性が重宝がられたのではいでしょうか。

ラジオという聴覚メディアが持つ、視覚を占有しない特性は、スマホが普及した今こそ価値が見直されるのではないか、こんなことを考えながら、前職のIT企業に勤めていました。2010年前後から遊廓に興味を持ち始めた私は、遊廓についてより多くの人に知って貰いたくて、ブログ、本、電子書籍をつくってきましたが、朗読も温め続けてきたことの一つです。さまざまな条件が整ったことで、今回ようやく実現したという次第です。

朗読の良さ

朗読の良さは視覚を占有しないことに限りません。朗読は読書に限りなく近い体験を与えてくれます。私が目下進めているのは「朗読劇」ではなく「朗読」です。前者は作り手の解釈が多く含まれます。演技性が強く、効果音も駆使した演出によって世界観に引き込まれる一方で、聴き手側の解釈が狭くなります。作り手の解釈は聴き手のそれを代償にします。朗読劇と朗読、それぞれに良さがあり、エンタメとしては甲乙つけがたいものですが、朗読劇は没入感が深いだけに、とりわけ可処分時間の点では向きません。そういった意味でも今回の読み手には、俳優さんではなく、主にアナウンサーさんに依頼しました。

余談中の余談ですが、私はNHKラジオの『深夜ラジオ便』が好きです。深夜に聴くアナウンサーさんの落ち着いた声は不思議と馴染むものですが、好きな理由はそれだけでもないようです。考えてみれば、ドキュメンタリー番組での俳優さんによることさら緊張感を含ませナレーションはかえって作為が透けてみえてカジュアルに聞こえてしまい、抑制の利いたアナウンサーのナレーションに身につまされることもしばしばです。それはやはり、解釈の幅が狭い方が、自分に引きつけて考え、そして自分なりに解釈することができるからでしょう。読書体験に近いとする理由です。

配信予定のタイトル

現在、作者(著作権者ないし著作権継承者)様と交渉中の作品もあるので、逐一書き記すことはできませんが、遊廓や私娼街、赤線青線やパンパンガールその他性売買に関する文芸作品と聞いて思い浮かぶ名作から、様々な理由から埋もれてしまっている佳作まで、可能な限り広く取り揃えていく予定です。

著作権管理団体である日本文藝家協会に委託・管理されている作品のみならず、同協会に委託されていない作品については、作家(著作権者・著作権継承者)様に直接お手紙を差し上げるなどして、許諾を得、契約締結を進めています。望外の幸運にも恵まれ、長いキャリアを持つアナウンサーさんが当企画に賛同して、参画して頂いています。ただいま鋭意製作中です。配信が決まり次第、こちらのnoteでも紹介と販売していきます。

遊廓に興味を覚えたての人、とりわけ若い世代に親しんで貰えるようなプロジェクトを目指したいと思っています。

賛同して下さる方はサポート頂ければ幸いです。若い世代にも馴染んで貰える朗読コンテンツの製作費用に役立たせて頂きます。

※以下は有料ラインですが、以上がすべてなので、その下には何も書いていません。記事を有料化するためのものです。

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