見出し画像

大学生になった私

 虐待サバイバーのゆうかです。

 私は父に虐待されない、認められたい一心で勉強を頑張りました。そのおかげで、無事に国立大学に現役合格しました。

 後から知ったことですが、被虐待児は学力が低い場合が多いと聞きました。

 私の場合は、たぶん頭は良くなかったと思います。国立大学に合格できたと言っても、高校時代、1日中勉強しかしない生活を送っていました。ご飯中も入浴中もトイレ中も歯磨き中も、ずっと勉強していました。

 もちろん、テレビも見ませんし、友達と遊びにも行きませんでした。部活にも入りませんでした。本当はテニス部に入りたかったのですが、高校入学の時点で勉強時間を増やすために、諦めました。勉強を継続する力は持っていました。

 土日でさえ、起きてる時間は全て勉強にあてました。母が止めるくらい勉強していました。だから、その成果で、なんとか国立大学に合格できたのかもしれません。

 頭がいい人がそこまで勉強したら、東大に入れたんじゃないかと思う程の勉強量だったと思います。

 私が国立大学にこだわったのはレベルの問題ではなく、父から大学に行くなら国公立以外はダメだと言われていました。もちろんお金の問題です。

 そして、私は無事に大学に入学しましたが、父は大学の費用を出してくれませんでした。学費だけでなく交通費や教科書代や食費など色々かかりますが、いっさいを自分で稼ぐように言われました。田舎でしたので車が必要でしたが車代、保険代も出してくれませんでした。

 さらに、家に5万円を入れるように言われました。けれど、私は驚きもしませんでした。父の言うことは絶対なので、言われた通りにすることしか頭にありませんでした。

 まず、大学の学費免除の制度に申し込みました。入試当日の試験と高校の内申、それから改めて行われた試験で選ばれるのですが、なんと運良く、学費免除対象になりました。

 つぎに、旧日本育英会の奨学金に申し込むことにしました。貸与型の奨学金で、利子なしの第一種と、利子ありの第二種がありました。第二種の方が基準が甘かったのですが、第一種に申し込みました。学力と家の収入で審査されますが、これも無事に通りました。

 これで、学費とその他の学生生活に関わる費用はなんとかなると目安をつけました。あとはアルバイトです。スーパーのレジ、塾講師、家庭教師、うどん屋さん、色々はアルバイトを掛け持ちし、家に5万円を毎月入れていました。平日は学校とバイト、週末はバイト三昧の日々でした。大学生になっても、私には自由はありませんでした。

 学生なので、おしゃれもしたい年頃でしたので、残りのお金を衣服や趣味やサークル活動に充てました。バイトを休んで遊びに行くことももちろんありました。

 その時は、当たり前のことだと思っていましたが、今思うと、少し自分が可愛そうな気もします。

 大学を卒業後、私は20年くらいかけて奨学金を毎月返していました。結婚して子育てしながら返していました。

 このことは、虐待とは関係ないかもしれませんが、私の人生に大きく影響することになりました。このことで父を恨んではいません。

 むしろ、父に逆らえない私が、必死でお金を工面して、過ごした学生時代に決して無駄はならないと思っています。相変わらず、家の中は地獄でしたが、学生生活は楽しい思い出になっています。

 ただ、それでもやっぱり、少しモヤモヤが残っているのは、大学生になってまで、父の恐怖に怯え、父に強制的に決められたことに従わざるを得なかったという、自分への後悔があるからかもしれません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?