見出し画像

無駄な話を沢山しよう

ここ最近、僕は思うことがある

それはくだらない話や馬鹿げた話は必要だと気づけている人間が少ない事だ

人は無駄をとにかく嫌う
しかし、その割に自分が無駄を沢山使っていることに気づいていない

じゃあなぜ無駄な話が必要だと僕は考えるのか

それは

無駄を必要とする余裕こそが生き方

と思ったからだ

例えば若い世代はSNSや動画配信サービス、ソーシャルゲームなどに時間を使う
もちろんこれらを使っている上の世代も居れば、これらに触れない若い世代もいる

しかしこれらが普及したのは紛れもない事実であり、「無駄」が必要とされている証拠に違いない

人における無駄とは逃げ道のことである

だからこそ、馬鹿馬鹿しい話を沢山して欲しいのだ

バーチャルな無駄が増えた世の中で、衰退していくアナログな無駄もある

人と人が直接無駄を共有することは、互いの余裕を作り、互いの重荷を支え合うことではないだろうか

僕は無駄が大好きだ

もちろん優先順位というものはある
社会に出れば尚更だ

その中で手軽に楽しめるバーチャルな無駄に頼ってしまう訳だ
これは悪いことでもなんでもない
むしろアナログな無駄よりも効率がいい

しかし僕はそれでもアナログな無駄が必要なのだと言いたい

ここまで書いておいてなんだが、これが正しいと言えるほど僕はアナログな無駄を体験していないように感じる

だから、無駄話をしよう

いつか知識になるかもしれない
どこかで共有出来るかもしれない
なにかきっかけになるかもしれない

無駄は逃げ道だ

ただ、後ろを向いている道ではない

逃げ道とは遠回りだ

無駄話を沢山しよう

ハリボテに囲まれた1人の遠回りより、沢山の人に囲まれた遠回りの方が楽しい気がする

前者をバーチャルな無駄
後者をアナログな無駄だと考えて欲しい

僕ならば後者を選ぶ

あなたはどんな遠回りをしたいですか?
それとも近道しますか?

孤独から逃げない自信がある人は胸を張って近道をして良い
ただ、僕みたいに逃げない自信がない人に近道はオススメ出来ない

ここまで書いた無駄話もどこかで何かに繋がったら嬉しい

じゃあ、また次のnoteで

ここまで付き合ってくれてありがとうございます

あなたが見てくれたから、これが良い無駄話になりました

いつかアナログな無駄を共有出来るといいな

終、

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?