水遊び_大人は不要_

大人の介入と子どもの成長は反比例

「子どもが子どもでいられる場所」作りを目指している私ですが、以前より感づいていたものの、最近特に感じることがあります。

「子どもの成長には大人ができるだけ介入しないことが大事」ということです。子どもって、実は本当にいろんなことができるのです。できないことだってやってみたいのです。そして子どもなりにいっぱい頭を使って考えるのです。

ところが、大人という存在がいるとどうしてもそこに頼ってしまう。きっと大人は助けてくれると思っているはずです。インターネットだって、大人の知恵だって、あれば使うのが子どもです。なぜならそれが楽ちんだから。大人の方も、子どもにはできないと思って、もしくは助けることが善かれと思って手を出してしまう。これが実は子どもの成長を阻害してしまうのです。

(タイムリーな話題で言うと、自由研究問題ですね)

遊びも同じですよね。本来遊びというのは子どもから自発的に始まるものであって、子ども同士で完結するんです。なのに大人というのは子どもにできないことができるし、子どものためになんでもやってあげたいという、母性にも父性にも通ずるような本能的なものがあって、遊んで“あげちゃう”ことが多いです。それが大人の役割であり、居場所だと感じている人もいるかもしれませんね。

一方で、子どもには当然できないことや知らないことがたくさんあります。それでも、子どもが独りではできないけれど、大人が少しだけ手助けしてあげればできることということもたくさんあります。専門的にはその差を「発達の最近接領域」と言います(レフ・ヴィゴツキー提唱)。大人の本当の役割は先に生きる者として、手出しすべきかどうかの判断と、そのさじ加減を見極め、必要最低限の手助けで最大の効果を引き出すことなのではないでしょうか。

理想を言えば、大人がいなくて治外法権が許された場所、それが子どもにとってのユートピアなのでしょう。遊育くらぶはそれに近い場所を目指しつつも、大人がいることで子どもの成長加速度を最大にするということに取り組みます。とは言っても、何でもOKというのはダメで、社会というものからあまりかけ離れずに、社会の中で自分が暮らしているという感覚を養って、自分の考えに基づいて行動できるような成育環境を作っていきたいなと考えています。

「自分でできることは自分でする」

遊育くらぶの約束の一つです。

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