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Michael Nesmith「Nevada Fighter」(1971)

もはやマイケル・ネスミスといっても、よほどのマニアの方でないとご存知ないかもしれません。
元モンキーズのメンバーで、モンキーズの4人のメンバーの中では、ピーターと共に生粋のミュージシャンだった人物。ちなみにモンキーズとは60年代に活躍した、ビートルズに対抗すべく、アメリカのショービズ界の重鎮等が仕掛けた作られたアイドルバンド。楽曲の殆どは外部の有能なライターによって書かれたもので、どの楽曲もクオリティが高いものなのですが、アルバムの中には数曲、マイクのオリジナルが収録されてました。

魑魅魍魎としたショービズの世界で自分の個性を主張することなど、なかなか難しいことと思われますが、そんな中、マイクは1966年に発表されたモンキーズのデビューアルバムから、すでにオリジナル作品を発表する力量を持ってました。実際、モンキーズのデビュー前に作られた「Different Drum」は、1967年にリンダ・ロンシュタットにカバーされてヒットを記録する等、カントリー界ではそこそこ知られた人物だったのです。

そもそも作られたアイドルバンドの中で、マイクが葛藤の連続であったことは想像に難くなく、結局、1970年にマイクはモンキーズを脱退。すぐにMagnetic SouthLoose Saluteと良質なカントリーアルバムを発表していきます。本作はそんなマイクが1971年に発表した3枚目のソロアルバム。

②「Propinquity (I've Just Begun to Care)」は、既にニッティー・グリッティ・ダート・バンドが名作「Uncle Charlie & His Dog Teddy」でカバーしていたので、カントリー界ではそこそこ知られた楽曲。
マイクの持ち味である素朴なメロディがカントリータッチとマッチして、味わい深い仕上がりになってます。ちなみにモンキーズ時代にも1966年、1968年と2度に渡ってレコーディングされてますが、オリジナルアルバムには結局収録されず、オクラ入りになった経緯にあります。

アルバムタイトルトラックの⑤「Nevada Fighter」は、この時期のマイクとしては非常にロック寄りな楽曲。1969年から1971年にかけてはカントリーロックが勃興してきた時代で、個人的にはカントリーロックを牽引していたのはバーズやグラム・パーソンズではなく、このマイク・ネスミスだったのではないか、というのが私の持論で、この楽曲などは、当時のカントリーロックの最高峰の作品ではないかと考えます。
本作のミュージシャンは基本はバンドメンバーなのですが、一部、ジョー・オズボーン(ベース)やロン・タット(ドラム)・ジェームス・バードン(ギター)といった腕利きミュージシャン等が参加しているようですが、この楽曲は恐らく彼らが演奏しているのではないかと。

意図的なのか、本作はB面(⑥~⑩)がカバー曲です。
⑥「Texas Morning」はマイクの友人であるマイケル・マーティン・マーフィーの作品。

彼はこの後、1972年にデビューを果たし、カントリー界の大御所となっていきます。マイケル・マーティン・マーフィーが世間に知られるようになったのは、実はモンキーズが彼の作品「What I Am Doing Hangin' Round」を採り上げたから。その作品もアップしておきますが、この曲、私大好きなんです。この曲を聴いた当時は完全にマイクのオリジナルと思ってました。それくらい作風も近いものがあるんですよね。

意外な選曲が⑧「I Looked Away」。
タイトルでピンと来た方は相当なスワンプ好きな方ですね。もちろんこれはデレク&ドミノス、エリック・クラプトンのバンドですが、「Layla」が収録されていることでも有名な超名盤「Layla and other Assorted Love Song」の1曲目に収録されていた楽曲。カントリーもスワンプも、根っこは一緒なような気がしますが、マイクがスワンプからも影響を受けていたことは、何となく理解出来ますし、このカバーも、マイクらしさがよく出ていると思います。

この後、マイクはバンドメンバーを変えて、セカンドナショナルバンドとして、引き続き良質なカントリーアルバムを発表していき、後にビデオ製作会社を設立。1981年には彼が製作したミュージック・ビデオがグラミー賞を受賞するという偉業を成し遂げております。

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