見出し画像

Quiet Riot「Metal Health」(1983)

メタル史上、初の全米No.1となったアルバム…、ランディ・ローズに捧ぐ…

私の中のギターヒーローは断然ランディ・ローズなんです。控えめな性格とは裏腹な、攻撃的で唯一無二なギタープレイはとても独創的でした。でも私、実はリアルタイムでは彼のプレイを聴いてません。1982年3月、彼の死後、1983年に発表されたクワイエット・ライオットの大ヒット曲「Cum On Feel The Noize」で、ランディの存在を知ることになります。
「Cum On Feel The Noize」は70年代のバンド、スレイドのカバーで、この大ヒット曲があったからこそ、LAメタルが勃興したと言っても過言ではありません。デフ・レパードの「Photograph」が大ヒットしたのもこの頃でした。当時は「Cum On Feel The Noize」が収録されたアルバムも聴いていたのですが、どうもヴォーカルのケヴィン・タブロウが好きになれず、聴き込むほどには至っていませんでした。

画像1

ちなみにクワイエット・ライオットというバンドは、もともとランディ・ローズが1973年に結成したバンドで、結成当時からヴォーカルはケヴィン・タブロウでした。アルバムは2枚発表しますが、泣かず飛ばず…。1979年、結局ランディは脱退、ルディ・サーゾと共にオジー・オズボーン・バンドに加入し、大成功を収めます。当時はエディ・ヴァン・ヘイレンと共にランディはギターヒーローに崇め奉られますが、1981年3月の飛行機事故でこの世を去ってしまいます。
その頃、ケヴィンはクワイエット・ライオットを始動させようと、ランディやルディから許可を貰ったうえで、メンバーを集めていました。後の新生クワイエット・ライオットの活動は、ランディの死をきっかけとした売名行為ではないか…とも云われましたが、ケヴィンはもともとはランディ生前時から、再始動に動いていたようです。

画像2

このアルバム、それにしても売れに売れました。気付いたら全米No.1を獲得。メタル史上、初のNo.1アルバムとなったのです。ランディの死、「Cum On Feel The Noize」のキャッチーな楽曲等、いろいろな要素はありますが、ケヴィンの力強いヴォーカル力とメロディセンス、新ギタリストのカルロス・カヴァーソのテクニックも侮れません。

ランディは俺が発掘したんだ!!と言い張っていたケヴィン。もちろん大ヒンシュクを買うわけですが、売れない時期を共にした2人にしか分からないこともあったであろうと思います。そのケヴィンがランディに捧げた名バラードの⑩「Thunderbird」はわざとらしいバラードと思いつつも、やっぱりいい曲。ギターソロはちょっとだけランディを思わせるフレーズもあったりして。

アルバムタイトルトラックの①「Metal Health」。こちらは当時のライヴ映像をアップしておきます。ケヴィン、絶対にカッコいいって感じじゃない(笑)。ビーチボーイズのマイク・ラブみたいな存在でしょうか。愛らしいって感じ。間奏のルディのベース奏法、なかなか見せますね~。演奏力のあるバンドでした。

ツーバスを駆使したスピーディーなナンバーもご紹介しておきます。それが⑦「Run For Cover」。カルロス、ギター弾きまくってます。なかなかカッコいいナンバーだと思うのですが。

このバンド、激しいナンバーばかりやっているのかと思ったら、そうでもなく、③「Don't Wanna Let You Go」みたいな80年代に流行ったようなメロウ系ナンバーもあったりして。哀愁漂うギターのサウンドがなかなかいいですね(この楽曲を紹介する方はあまりいないかも)。

スリリングなナンバーも収録されております。それが⑥「Breathless」。いちばんメタルっぽい楽曲ですね。

最後に世紀の大ヒット曲の②「Cum On Feel The Noize」をアップしておきます。懐かしいPVですね。MTV時代にハマったPV、それ故の大ヒットだったのかもしれません。

後にケヴィンは謙虚な姿勢が全く見られない発言が多かったことから、ビックマウスと称され、いつしかLAメタル界のみならず、バンド内からも総スカンを喰らってしまうことになるのですが…。そのケヴィンも52歳という若さで2007年に他界。今頃はランディと天国でバンドでも組んでいるのでしょうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?