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居心地のいい場所は、きっとどこかに

こんにちは、ゆのまると申します。

普段と違うサイクルで動いていた三日間。今日から少しずつ、元の生活に戻りつつ、文章とゲームのリハビリもしていきたいと思います。まずは大量の洗濯物をなんとかするところからだな……。


さて。昨年末、あまりにも実家帰省が憂うつだった私は、ひたすらTwitterで「実家 帰りたくない」と検索しては同志を探しておりました。

けれども出てくるのは、「義実家に」帰りたくない人々ばかり。「夫の実家に帰省しても居場所がなく、小間使いのように使われる」と、そんな論調の記事もたくさん見かけました。


夫の出身は佐賀、そして長男です。二年前、初めてご両親と顔合わせをするまで、私は一般的な「九州の家庭」のイメージから、きっと私の人権はないものなんだろうなと考えていました(※あくまでイメージです)。キャリーケースにも、しっかりエプロンを入れていたことを覚えています。

私の実家自体が典型的な田舎の男尊女卑家庭なので、それ自体は全く苦ではないと思っていました。家では家長である人を立て、ヨソからやってきた嫁の仕事はそんな人々の世話をすることだ、と。実家でそんな母を見ていたので、ずっとそれが当たり前だと信じていたのです。しかし当然のことと刷り込まれながらも、家族と和やかに食卓を囲んだ夜も、どこかに旅行をした楽しい記憶もない「実家」という存在自体が、私にとってどうしようもなく気の重いものだったのです。


ところが、そうして身構えまくった義実家訪問だったにも関わらず、夫のご家族はこの上ないほどの歓迎ムードでした。ご両親、きょうだい、おじいちゃんおばあちゃん。子や孫である夫への愛情はもちろん、新参者の私にも本当に優しくしてくれました。

そしてそれよりも私にとって印象的だったのは、「自分の居場所がある」ということでした。

私が口を開くと、皆がこちらに注目してくれて、しっかり話を聞いてくれる。話題を頭ごなしで否定するのでなく、聞いたうえでそれに対する意見を述べる。やることなすこと何故か空回りで、一向に実家の雰囲気に馴染めなかった私なのに、「各自好きにする」が家訓であるかのような義実家では、その自由な行動が尊重されていて本当に驚きました。

これまで実家でやってきた家事の手伝いや、母の日や敬老の日といったイベントごと、私にとってはすべて「当たり前」なのに、義実家ベースでは大変に感謝をされます。楽しい記憶よりも泣いた夜の方が多い実家ですが、これらの行動を教えてくれて本当に良かったと思いました。


元日の夜。義実家の面々とお鍋を囲み美味しいワインをいただきながら、実家での日々はこの時のための貯金だったのかもしれない、とふと思いました。

いまだに実家との距離感はつかみかねているし、願わくばずっと帰省の機会がなければいいのにと思います。私はきっと橋の下で拾われたんだな、そう思い込む事で心の安寧を保っているところすらあります。

でもその日々があったおかげで、私は夫に出会えたし、そのご家族にもこうして可愛がってもらえています。

楽しく乾杯できる義弟もできました

人生におけるつらい事のすべてが、綺麗に帳尻が合うとは思えません。しんどい経験をしたから必ず幸せになれるとは限らないし、周りの人に助けられてずっといい思いばかりしている人もいるはずです。逆に、その割を食って損ばかりする人も。

私が義実家で楽しく過ごせるのは、とても奇跡的なことです。相性がよかったこともあるし、そもそも相手の人柄がいいから成り立っていることです。

けれど、それが奇跡であることは前提として、今がつらくてもきっとどこかに居心地のいい場所はある。受け入れてくれる人はいる。私はそう信じたいのです。苦労が報われるとは限りません。でも、その時に積み立てたものは、きっとどこかで返ってくる。それくらいの救いがあっても、罰は当たらないのではないでしょうか。


義実家との付き合いは、まだ数年足らず。これからお互いに年を重ねていくうえで、不具合が出てくることもあるし、関係性も変わってくるかもしれません。

それでも、この恵まれた環境に胡坐をかくことなく、これからも誠実にお付き合いを続けていきたい。そしてあの素晴らしく優しい方々が、ずっと健康で長生きしてくれたら。そう純粋に願う私なのでした。


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