タチバナキョウコの独白①

2036年4月7日

私の名前はタチバナキョウコ。
2019年10月8日生まれの現在16歳。
明日の始業式を境に私は高校二年生になる。
これは私の想いを綴った記録である。
デジタルのテキストデータではなくアナログな紙のノートに記すのには意味がある。
それは、私がこの現実世界に存在することを示す物理的な証拠を遺すため。
これを読んでいるのが私が生きている現在か、私が死んだ未来か、或いは私が生まれる前の過去かもしれない。
けれどそれは大した問題ではない。
私が存在した証を遺すこと。
そしてそれをあなたが観測して証明すること。
それこそが最も重要なことなのだから。

明日は始業式。私の高校二年生の生活が始まる。
でもそれ以上に、私にとって人生を左右する運命の日になる。
確証はない。
ただの希望的観測かもしれない。
けれど私には絶対的な確信があった。
明日、運命の出会いがある。
私と同じ想いを持った仲間、同志とでも言おうか。
まだ会ったことのない、会うかどうかもわからない相手にここまで信頼を寄せているのも不思議なものだが、それが運命というものだ。

それから私達の退廃に抵抗する日々が始まるのだ。

退廃とは――既存の「退廃」という言葉に私が新たに意味を付与した用語である。
その意味は『自己の同一性(Identity)を退化させて個人の意志(Originality)を廃すること』
もちろん「退廃」の元の意味の「廃れた」「衰退した」「荒れ果てている」イメージからもインスピレーションを受けてこの言葉を選んだ。
「人生を悲観し、生きているのが嫌になっている様」「不真面目」「不健全」「堕落」「不道徳」という意味も含んでいる。
退廃は人類を蝕み、侵食していく。
既にこの世界には退廃した人間が蔓延っている。
このまま退廃が進めばいずれ人類は絶滅する。
人類が生き延びるためには人類の進化が必要だ。
そのためにも、私が率先して退廃に抗っていかなければならない。

『退廃に抵抗する(Decadence Resistance)』

これが私達にとっての共通語――MEMEとなる。

明日の始業式、私は運命の出会いをする。
それがどんな誰であれ、私は受け入れるつもりだ。
願わくば、気の合う同志であることを望む。

それでは明日に備えて寝るわ。
お休みなさい。
私の大嫌いな現実の世界。

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