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「生きやすい世界」について。 その2

10/23からスタートした游魚のクラウドファンディング・プロジェクト『LGBTQについての理解を、京都発のフリーマガジンを通して広めたい!』も、残すところあと6日となりました。
このプロジェクトは11/6午後8時現在、17名の方からご支援をいただき、さらに多くの方々から情報の拡散や応援のメッセージという形で協力をいただいています。
本当にありがとうございます!

游魚によるクラウドファンディングのプロジェクト「LGBTQについての理解を、京都発のフリーマガジンを通して広めたい!」のページはこちら

さて、このプロジェクトを進めるうちに、僕は「自分が生きやすい世界とはいったいどんな世界なのか?」ということをよく考えるようになりました。
プロジェクトの大きなテーマである「どんな『性』の人も生きやすい世界」は、もちろん僕にとっても居心地がいいのではないかと思います。
実際に、このプロジェクトに関連して今年の9月に参加した、オランダ・アムステルダムでのWTF QUEER WEDNESDAYというイベントは、まさに「どんな『性』の人にとっても居心地のいい場所」を実現しているように見えました。
これは、たとえばレズビアンやゲイの人だけでなく、その空間が異性愛者である僕(女装者ですが)にとってもそこが居心地のいい場所であったことが大きなポイントだと思います。
このイベントは、人種や性別、性的指向や職業、障害の有無などに限らず、とてもオープンに、かつ自然に受け入れてもらえる場所だと感じました。

話は飛びますが、僕は学校の校則というやつが大の苦手でした。
僕がいた中学校は、男子は頭髪を前と横を刈り上げるのが規則で、刈り上げの幅も3センチ以上とか決められていました(女子は前髪の長さを眉上何センチとか決められてました)。
いま思うとナンセンスきわまりない校則で失笑するしかありませんが、当時はこんな校則を守らなかったからという理由で、学校で強制的にバリカンで坊主にされる男子や、教師にハサミで乱暴に前髪を切られる女子がいたのです。まったく、ひどい話です。

学校側は、なにをそんなに恐れていたのでしょうか?
生徒たちが思いおもいの個性的な髪型で自己主張することでしょうか?
みんなコケシみたいな髪型になって、無個性になることを学校側は求めていたのでしょうか?
僕は「みんなおなじ髪型・おなじ服装」のほうが、よほど気持ち悪い!と感じます。
そして、どんな髪型や服装よりも、教師による生徒への「体罰という名の暴力」や、人間性を否定するような「言葉による暴力」のほうが、はるかに問題があると思います。

自分が「ここにいてもいいんだ」と思える場所は、その人にとって居心地がいいはず。
まずはちいさな社会からでも、そんな場所を増やすことができれば、と思います。

游魚によるクラウドファンディングのプロジェクトは、11/11の23時59分までおこなわれています。
引き続き、ご支援・ご協力をいただければ幸いです。

游魚によるクラウドファンディングのプロジェクト「LGBTQについての理解を、京都発のフリーマガジンを通して広めたい!」のページはこちら

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ギター、こえ、うた、ことば、ダンス、女装などを駆使して表現する人。 即興系宇宙バンド、彗星ミトコンドリアではヴォーカルとギターを担当。 近年はおもに文筆を生業として、女形として演劇作品にも出演している。
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