働きやすさは誰のため?
つい先日、主任として勤めていた仕事を辞めた。
職場で送別会を開いていただき
「近寄り辛い人だと思ってたけど、相談に乗ってくれて嬉しかった」
「居場所を作れるように助言してくれて嬉しかった」
「自分とは違って仕事ができてすごいと」など
お言葉をいただいた。
ありがたい、めっちゃありがたい
が、
私にはそれがものすごく負担だった。
そもそも他人に興味はない。
後輩が質問すればもちろん答えるし、手伝いもする。その後のフォローもするけど、
そうでない人にも声をかけて、困りごとがないか聞いたり、プライベートの相談にも乗ったり、職場のみんなの心理的安全性を確保して、働きやすい環境を整える。
それはもうめっちゃ大変だった。
結局私は自分の意見など持たずに、この問題の落とし所はどこだろうと、どうすればみんなが納得できる答えを示せるだろうかと、後半はそればっかりを考えていた気がする。
相談に乗ったのも、自分を信頼してもらうための保身だし、
居場所を作ったのも、それが職場の今後が良くなるための打算だし、
仕事ができるように見えるのはみんなが納得できる答えを必死に見つけてきたからなんだと思う。
けれどそんなふうにみんなに言ってもらううちに、いい主任って思ってもらえるような行動を選び取ってるうちにだんだんと苦しくなる。自分が選んで行動しているのに。
そして退職。
本当に楽になったから、辞めてよかったと思う。毎日思う。
ずっと悩んでいた。
みんなのいう「話しやすい」人に自分は成長したんだ。だから今後もそういうふうにみんなの困りごとに助言したり、そして正しくいなくちゃいけないのか。それがみんなに好かれる方法なのだから、、。
けれど私はそもそも他人との関わりに興味はない。
誰かが誰がのことを主観で語る姿にも内容にも興味がない。
ましてや仕事にしきてるのだから、ことさら興味がない。
職場の人のことも友達のように親身にならなきゃいけないのか、、。
無理無理無理!
それが苦しくて辞めたのだ。
私は仕事はしたいが友達が欲しいわけではないのだ。
仕事において「いい人」でいるべき職場なんてない。だって仕事だもの。
私が「いい人」だと思われたくて勝手に無理をしたんだ。
もう自分に無理をさせる立場にはならない。
自分にとって何がつらいのか、
できること、できないことをちゃんと考えてから次の職場に向かいたい。
仕事っていろんな「大変」がある。
本当にみんな毎日お疲れさまです。
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