「推し」って何?ー自分を守るための「推さない」選択ー

※ラブライブ!サンシャイン!!のネタバレを含みます。※
※2022/6/1 内容を追記しました。下部を参照※
※2022/12/5 内容を追記しました。ことなさんのオタクをやめました。下部を参照※

みなさんの推しは誰だろうか?

そもそも推しとはなんだろうか?

おそらくその対象はアイドルだったり、配信者、または架空のキャラクターなどであろう。

その対象に抱くプラスの感情といえば
好き(like or love)、応援したい、付き合いたい、頑張ってほしい、夢が叶ってほしい……
などなど、様々あるだろう。
以下めんどくさいので「好き」=「like」で表現する。

その中で推しとはなんだろうか?これは僕がラブライブ!というコンテンツに出会った時に思ったことである。

僕がオタクになったのは2000年代後期、つまり、長門は俺の「嫁」の時代である。これも端的にLoveを表しただけでなく、難しい表現であるが、一旦置いておこう。

2010年代初期、無印ラブライブ!が流行る。当然僕もファンになる。ファンになるというのは単に作品として好きという意味である。

「とうふくんは誰推し?」
「凛ちゃん推しかなぁ。」

僕はこの時は「推し」=「好きであって応援したい対象」ぐらいで考えていた。つまり、複数個言葉をまとめた言葉だと考えていたのである。

順調に僕はラブライブ!サンシャイン!!を推すようになる。僕の推し活は順調に進むように思われたが……問題は2期のある話である。彼女たちの頑張りは報われず、散ってしまうことになる。

ここで僕は号泣してしまった。居酒屋で号泣し、電車で号泣し、自宅で号泣し、友人に連れられ公園でも泣き続けた。

何故自分のことでないのに号泣したのだろうか?

それは真剣にラブライブ!を「推し」ていたからである。
つまり、「推し」=「好きであって応援したい対象」という単純な方程式ではなく、「推し」というのはもっと強く複雑な気持ちであることに気がついたのである。気がついたのであるが、まだこの時僕は推すことの怖さに気付かない。知ってるはずなのに。

この後も1つのコンテンツを推し号泣している。
そしてさらに1人を推し、心をぐちゃぐちゃにしている。いや、数えれないくらい推して、その度に心を痛めていたのかもしれない。

そしてやっと気がついた、「推す」ことをやめればいいことに。「推す」ことより遠い位置、好きだし、だから応援する。近付きすぎない。これぐらいのスタンスが自分に一番あっていると。

僕は基本的に心がけていることがある。認知されないことである。認知されると、推さざるをえない感情が生まれてしまうからである。だから登録者の少ないVtuberを追うこともやめた。

今は、にじさんじという大きな箱のライバーさんを少しずつ応援している。コメントをしなければ認知されることはないが、メンバーシップやグッズなどで応援することができる。地下ドルと違って現場に行かなくてもいい。依存の対象を分散させるにはちょうどいい。今の思考ではこれがベストアンサーだと思っている。

ただ一人例外がいる。登録者の少ないVtuberを追っていた頃、すぐに認知され、何故か今も離れられない。初鹿野ことなさんである。

さて、僕はこれから彼女にどれだけ心をグチャグチャにされるのだろうか。楽しみである。僕のいわゆる「推し」活はまだまだ続く。僕は友達になりたいだけなのに。

※2022/6/1 追記※
最近「推し」と同時に「応援」という言葉がわからなくなってきた。いわゆるではないが杞憂しがちな僕は、ある程度コンテンツに踏み込むと心が不安定になってしまうらしい。正確にいうと、考え過ぎてしまうのである。

「応援」とはなんなのか?その言葉の定義からの解釈や、逆に細かな感情の集合として捉えるやり方など、様々考えたが、いささか僕は病気なので頭が回らない。元気な時の課題にしよう。

今の僕に唯一できるのは、「距離を取ること」である。かなり心苦しい選択ではあるが、これしかできないのである。

どうか許してほしい。

※2022/12/5 追記※
 初鹿野ことなさんの運営と喧嘩というか、仲違いをしてしまった。私は守りたかった、悪役になってでも未来の事故を阻止したかった。しかし叶わなかった。

いくつかの騒動を起こしてしまった責任に、初鹿野ことなさんのオタクを追える。おそらくすでに、別の記事で書いてあるだろう。以上。

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