精神障害者と意思表示【34歳からの終活|番外編】(約850字)
「遺書」を書くぐらいなら「エンディングノート」可能ならば「遺言書」も
ちょっと整理しておきたいことがあるので番外編です。
俺は終活にあたって「遺書」を書くメリットをあまり感じていません。
なぜ「エンディングノート」なのか、改めて浅めに深堀していきます。
「遺言書」「遺書」「エンディングノート」(本文1/2)
終い支度といえば「遺言書」というイメージをお持ちの方も多いかと思います。
ここで、俺のような精神障害者の場合だと、判断能力が著しく欠落していると見なされたら遺言状が無効になります。おそらくですが、診断書がないと公証人(弁護士や行政書士など)は取り合ってくれないでしょう。
俺は「遺言書」を半分諦めているのもあって「エンディングノート」を書いています。
できれば遺言状も書けるに越したことはないんですけどねえ。
ここで紛らわしい用語の整理をざっくりと。
遺言状→法的に有効。ただし自筆だとちょっとした文脈の解釈の違いでトラブルに発展するケースもあるので公証人に依頼すべき
遺書→あくまで私的なものなので法的に有効ではない
エンディングノート→やたら多岐にわたる遺書
本当にざっくりですがイメージはつかめたでしょうか?
34歳というタイミング(本文2/2)
エンディングノートはまだそんなに埋まっていませんが、人生の棚卸・生き方の再編成・そして生きた証になると思っています。
この活動を始めたのが35歳手前というタイミングだったのはラッキーだったかも。
いまは中年見習いみたいな年齢なので、人生の棚卸とともに生き方を再編成する準備が必要だと日に日に感じるようになってきました。
これ、とても「遺書」じゃカバーしきれません。
おわりに
前も書きましたが、俺は意識が高い方ではなく、むしろ低みに安住するのをモットーとしているぐらいです。
しかしながら、低みには低みの人生があります。
後悔なく、とはいかなくても、後悔少なくまっとうしたいものです。
最後までお読みいただきありがとうございました!