独断と偏見で選ぶ歴代ラリードライバー ベストテン! | YOU ARE MY SUNSHINE -私の熱狂したラリードライバーたち- 第十回(最終回)
こんばんは、坂岡 ユウです。
ついにやってきてしまいました、最終回!
どれだけの方が読んでくださったかはわかりませんが、読んでくださった皆さん、本当にありがとうございます。全10回、本当に短かったです。
最終回は感謝の気持ちを込め、ここでは紹介できなかったラリードライバーも含めたランキングを発表させていただきます!!
第10位:ジル・パニッツィ
異論はあるでしょう。アリ・バタネンとか、ディディエ・オリオールとか、ヴァルター・ロールとか、ミキ・ビアシオンとか。しかし、彼らは現役の走りをほとんど観ていないので、残念ながら印象がないんです。日本神話や北欧神話、ギリシャ神話で語られる幻獣や女神のように、当時の活躍だけ見聞してランクインは違うと思って……。というわけで、ごめんなさい、選外とさせていただきました!
私がジル・パニッツィを選んだ理由は、「ターマックでの速さはどのチャンピオンたちよりも卓越していた」という点にあります。ジョン・ラニョッティらの系譜を忠実に受け継ぐフランス人のターマック・スペシャリスト。特に2003年のサンレモ、カタルニアは凄まじいものがありました。もちろん、それまでの活躍も。雨が絡んだり、マシンとの相性が良かったり、一定の条件が揃うと抜群に速かった。数十キロのSSとはいえ、他のドライバーに一分や二分も差をつけられるドライバーはいません。
最初の頃はターマック以外のラリーではからっきしでしたが、ちょっとずつ速くはなっていたんですよ。
三菱やスバルとも馴染み深く、日本でも人気の高いドライバーでした。それにしても、顔の濃さとインパクトは他の誰よりも凄いです。必見かも?
第9位:ユハ・カンクネン
私にとって、カンクネンも半分神話の域にあるドライバーですが、晩年の円熟味溢れる走りを見て、ランクインさせていただきました。
セバスチャン・ローブに抜かれるまで、トミ・マキネンと並んで最多王者の記録を持っていたドライバーです。典型的な“フライング・フィン”たちと同じでターマックは苦手としていましたが、苦手なりになんとかして常に表彰台に乗ってくるので、敵に回すと非常に嫌らしい。モータースポーツは「優勝かリタイアか」というドライバーよりも、こういうドライバーの方が怖いんです。
リチャード・バーンズは2001年にわずか1勝でチャンピオンを獲ってしまいました。F1でもケケ・ロズベルグが1982年に1勝でタイトルを獲得しています。
2010年にフィンランドラリーで一戦限りの現役復帰をして、総合8位を獲った時は思わず「流石だなあ」と唸ってしまいました。
本当はこんなに低い順位にいるドライバーではありませんが、印象的で個性的なドライバーがあまりにも多すぎて……。ファンの方、ごめんなさい!
第8位:コリン・マクレー
今、「Dirt Rally」や「Dirt4」などを遊んでいる皆さん、お待たせしました! 言わずと知れたイギリスの大スターです。レースゲームの発展にも多大な貢献をしています。
コリン・マクレーはもちろん速かったし、チャンピオンにもなりました。しかし、それ以上に、彼は記憶に残るドライバーでした。彼はカンクネンなどと同じで、最晩年の頃しか現役を見ていませんが、とにかく気迫が凄かった。マシンを蹴りまくったり、明らかに性能の厳しいマシンで表彰台争いをしたり、トラビス・パストラーナとXゲームで死闘を繰り広げたり、パフォーマンス以上のものがありました。
若い頃は“マクラッシュ”とあだ名がつくほどのクラッシュ癖を持ち、典型的な「優勝かリタイアか」というドライバーでした。若い頃にはクラッシュする度にプロドライブのボス、デビッド・リチャーズにたっぷりとお説教を受けたそうです。それでも、壊れたクルマを必死に修理したり、チームオーダーにも従わずに優勝にこだわろうとするなど、とにかく優勝に対してのひたむきな姿勢が多くの人に感動を与えました。
残念ながら、2007年に39歳の若さでヘリコプター事故により他界。NBAの大スター、コービー・ブライアントの事故死の際にも感じましたが、このような才能に溢れ、様々な方に感銘を与えた大スターが若くして亡くなってしまうのは無念だとしか言いようがありません。
第7位:トミ・マキネン
ユハ・カンクネンに引き続き、マキネンもこの順位でごめんなさい!
マキネンはフォード・日産・三菱・スバルなどで活躍し、三菱では1996年から1999年にかけて4連覇を記録するなど、90年代を代表するスタードライバーの一人でした。
私は彼の現役をスバル時代の最末期しか見ていません。既に速さではペター・ソルベルグにも劣りつつありましたが、ベテランらしいクレバーな走りで時折表彰台に登っている。そんな姿が印象に残っています。トヨタやヤリ・ケトマーなどの影響もあって、マキネンはドライバーというよりもチームボスの印象の方が圧倒的に強いんです。
そんなマキネンですが、ひとつ強烈に印象に残っているラリーがあります。それは、2003年のグレートブリテンです。マキネンはこの年をもって引退を決めていました。2003年は全盛期ほどの速さはないものの、時折表彰台に登り、コルシカやカタルニアなどのターマックイベントではペターを強力にサポートしました。そして、ついにやってきた引退ラリー。マキネンは同じ時代を共に駆け抜けてきたコリン・マクレーと表彰台争いを演じます。結果は最終日にマクレーがパンクして脱落といいう呆気ないものでしたが、ペター・ソルベルグとセバスチャン・ローブの優勝争いと共に、この年の世代交代を象徴する出来事として語り継がれています。ちなみに、コリン・マクレーも2003年を最後に一戦を退いています。
引退後のふたりは対照的な進路(マクレーは現役続行を模索するものの、前述のヘリコプター事故で他界。マキネンはエンジニアリング事業で大成功を収め、トヨタチームの総帥に)となってしまいましたが、両者ともに記憶にも記録にも残るドライバーでした。
第6位:ペター・ソルベルグ
当エッセイでも最初にご紹介したペター・ソルベルグは、この順位になりました。ペターの思い出などは既に綴っていますので、よかったら第一回をご覧いただけると嬉しいです。
というわけで、今回は兄弟のヘニング、息子のオリバーについてご紹介させてください。
正直、ヘニングはランクインするかどうか悩みました。マンフレッド・ストールと、ジル・パニッツィとで迷っていたんです。ヘニングといえば、言わずと知れた最強プライベーターの一角。マンフレッド・ストールは良いマシンに乗せると優勝争いを演じるほどの実力の持ち主でしたが、ヘニングも表彰台に何度も登りました。2006年にはOMVプジョーでチームメイトにもなっていて、現在もふたりはプライベーターとして活躍しています。両者ともに、トップカテゴリーは離れてしまったんですけどね……
あと、ヘニングはインタビューやリアクションがいちいち面白いのが個人的にツボです!
そんなヘニングとペターの遺伝子を受け継ぐのが、息子のオリバー。オリバーはまだ18歳ですが、既に下位カテゴリーで目覚ましい活躍を見せています。ERCでは史上最年少優勝を達成し、ケン・ブロックともジムカーナで共演。2018年にはラリーXノルディックという大会のラリークロスチャンピオンシップを獲得しました。
ケンとオリバーの共演動画を下の方に貼っておきますので、若き天才の雄姿を存分にご堪能ください。
第5位:ミッコ・ヒルボネン
続いては、ベスト5。ミッコはチャンピオンにはなれませんでしたが、あのセバスチャン・ローブをギリギリまで追い詰めた実績と、過去のチャンピオンたちを上回る勝利数という記録を考慮して、この順位とさせていただきました。
ミッコもカルロス・サインツと一緒にこちらで紹介させていただいたので、今日は初優勝までの道のりについて少しだけ取り上げさせていただきますね。
彼はフォード時代(第二期)の印象が強い方も多いと思うんですけど、かなり若い頃からその才能を見出され、何度もチャンスを与えられたドライバーのひとりです。
初めはフィンランド国内選手権で活躍していたミッコですが、若干23歳でフォードワークスに起用され、翌年にはトミ・マキネンの後任としてスバルに移籍します。スバルは当時のチャンピオンチームなので、とても大きなステップアップ。正直、この時はマキネンの推薦力が大きかった。実際、キプロスラリーで入賞こそしたものの、当時のミッコにはエースのペター・ソルベルグを凌ぐほどの速さはありませんでした。ペター中心のチーム体制に馴染めなかったのも原因ですが、「まだ当時のミッコには早すぎるステップアップだったんだ」と個人的には感じました。その結果、わずか一年でチームを放出の憂き目に遭います。
しかし、この放出がミッコにとっては大きな転機となりました。
翌2005年、ミッコは型落ちのフォードを駆り、アクロポリスラリーで印象的なパフォーマンスを見せます。古いクルマで、表彰台圏内を堂々と走ったのです。結果はリタイアとなってしまいましたが、その活躍が評価されてシュコダやフォードからスポットではあるものの、ワークスノミネートを勝ち取ることに成功しました。さらに、スペインではチェビー・ポンスなどのプライベーターたちやワークスなどを抑えて表彰台を獲得。2006年からのフォード復帰が正式に決まります。
そして、2006年からはラリーファンなら誰もがよく知るシンデレラストーリーの幕開けです。シーズン前半では安定感溢れる走りで同郷のマーカス・グロンホルムを強力にサポートし、後半では一部ラリーでグロンホルムに適うほどの速さを見せ始めます。その流れに乗って、オーストラリアでついに初優勝を果たしました。このラリーではセバスチャン・ローブの不在やグロンホルムのアクシデントなどもありましたが、実力でペター・ソルベルグを振り切っての勝利となりました。2004年を知っているファンからすると、劇的な勝利です。
その後は、もう説明が要らないでしょう。エッセイでもご紹介させていただいたので、ここでは割愛させていただきます。彼はもう完全に印象で選ばさせていただきました!
第4位:カルロス・サインツ
これより上位のドライバーは彼よりも実績のあるドライバーたちなので、ファンの方にもご納得いただけるランキングになっているかなあ……と個人的には思います。ここで“エル・マタドール”の登場です。
(カルロス・サインツはヒルボネンと一緒にエッセイでご紹介させていただきましたので、ここでは詳しい説明を割愛させていただきます)
カルロスもペター・ソルベルグと同じで、息子がF1の世界で活躍しています。十代の頃はラリーか、レースかでファンの間では議論となっていましたが、もう完全にレースの人間になりました。それでも、ルノー・メガーヌでモンテカルロのステージを走ったことはあるんですけどね。
現在はマクラーレンのエースとして同郷のフェルナンド・アロンソの後を受け頑張っていますが、父の方もパリダカ制覇やフォルクスワーゲンのテストドライバーなど、現役バリバリで走り続けているのは息子にとって、すごく誇らしいのではないかと思います。
親子揃ってチャンピオンになれば、盛り上がりそうですね……!!
第3位:セバスチャン・オジェ
さあ、現役最強ドライバーの登場です。
2013年から2018年まで6連覇を達成した“二代目セブ様”です。2010年から2013年にはF1でもセバスチャン・ベッテルが4連覇を達成していたので、世界のモータースポーツにおけるトップカテゴリーをどちらもセバスチャンが制覇したことになりますね。
私にとって、セバスチャン・オジェの登場は“世代交代”を初めて実感させられるものでした。
オジェは2008年に颯爽と現れ、2009年にはトップカテゴリー参戦初年度でいきなり表彰台。続く2010年は絶対的なワークスドライバーだったダニ・ソルドをシトロエンのワークスから引きずり下ろしました。また、2011年はローブとタイトル争いまで演じています。
……絵に描いたようなサクセスストーリーですよね。ミッコ・ヒルボネンとはまた違う形の。
そこからオジェはフォルクスワーゲンのWRCプロジェクトに絶対的エースとして参画し、2013年より6連覇を達成しました。2016年末にフォルクスワーゲンが撤退したので、2017年と2018年は実質的にはプライベーターのMスポーツでタイトルを獲っています。
2019年は撤退間近のシトロエンで厳しい結果に終わってしまいましたが、まだまだ実力は衰えていません。2020年からはトヨタに移籍。エルフィン・エバンスやカッレ・ロバンペラと共にタイトル奪回に挑みます。
また、余談ですが、コ・ドライバーのジュリアン・イングラシアと共に、非常にファン思いな性格でも知られています。
こちらの記事はファンの方が執筆したものですが、現場や動画などでインタビューやサービスパークでの姿を見ていても、その人柄の良さは滲み出ていますよね。
私のエッセイでも何度かお伝えしたように、ラリードライバーは強い家庭的な雰囲気を持つ選手が多いです。かつて、F1の世界では「変わり者でないと生き残れない」と言われるほどアクの強い選手たちに溢れていましたが、SNSの発達によって、ドライバーの素の部分が出るようになり、少しずつそのイメージも変化しつつあります。
“心優しい王者”セバスチャン・オジェは現代ならではのチャンピオン像なのかもしれませんね。
第2位:マーカス・グロンホルム
このランキングでは、基本的に「私が実際に見た選手の中で、一番印象に残る速さを見せていた選手」の順番となっていますが、グロンホルムは唯一といっていい、セバスチャン・ローブに勝るとも劣らない実力を持ったドライバーでした。
2007年まで活躍していたから、グロンホルムとコリン・マクレーが同じ年に生まれたと言うと、驚かれるファンもいるかもしれません。
それもそのはず、マクレーの全盛期において、グロンホルムはほとんど不遇真っ只中の状態。時折速さは見せるものの、様々な事情でワークスシートにはありつけず、プジョーのWRCプログラムに参加した時には既に31歳になっていました。
しかし、それからは秘めている才能を存分に発揮します。
グロンホルムは2000年と2002年にチャンピオンを獲得。グラベルラリーでは他を寄せ付けない絶対王者として活躍しました。2003年から2005年にはマシントラブルが重なり一時低迷期に入りかけますが、プジョーのWRCプログラム終了と共にフォードへ移籍。
2006年こそ、2連覇中のセバスチャン・ローブに遅れをとりますが、結果的には引退年となる2007年にはセブをギリギリまで追い詰めます。
自らの連続ミスでタイトルを逃すまでは、「ほとんどタイトルは決まりだ」と言えるほどに差をつけていました。また、セカンドドライバーのミッコ・ヒルボネンはシトロエンのダニ・ソルドよりも総合力で優っており、巡り合わせ次第ではチャンピオンになっていたでしょう。
グロンホルムはインタビューの内容や引退後のセカンドキャリア(地元フィンランドでショッピングモールを開き、ジムのインストラクターをしている)が面白く、苦労人という経歴から日本でも非常に人気が高いドライバーでした。
特にフィンランドラリーに強く、現役最終年の2007年では英雄ハンヌ・ミッコラに並ぶ通算7勝目を記録。しかし、一番好きなのはスウェーデンで、引退後はスウェーデンに何度かスポット参戦しています。
もしローブとグロンホルムの二人が同じクルマに乗っていたら、どんな結果になっていたのか、私は非常に気になります。グロンホルムはバーンズ、マキネン、マクレー、サインツ、オリオールといった名だたるドライバーたちを蹴散らしてタイトルを獲った男です。ヒルボネンとローブがコンビを組んだ際にはローブが圧勝してしまいましたから、一度くらいは観てみたかったですね!
第1位:セバスチャン・ローブ
さあ、大トリです。歴代最高ドライバーといえば、やっぱりこの人しか考えられません!
そう、セバスチャン・ローブ!!
しかし、ローブはこちらのエッセイでがっつり紹介しています。そのため、他の既に紹介したドライバーと同じく、今回は別の視点から紹介させていただきます。
まあ、セバスチャン・ローブの思い出はこのエッセイで全部語り尽くしてしまったと言ってもいいんですけど、今回のランキングを考えるにあたり、もう一度彼と同じ時代を共にしたドライバーたちを調べ直してみました。すると、錚々たる顔ぶれが並んでいることを改めて実感させられました。
フィリップ・ブガルスキー(シトロエンに長年貢献。最初のチームメイト)
コリン・マクレー(1995年のWRC王者)
カルロス・サインツ(1990年・1992年のWRC王者)
マーカス・グロンホルム(2000年・2002年のWRC王者)
ペター・ソルベルグ(2003年のWRC王者)
マルコ・マルティン(ターマックラリーでローブを直接破った最後の男)
セバスチャン・オジェ(2013年から2018年のWRC王者)
ミッコ・ヒルボネン(ローブをギリギリまで追い詰める)
ヤリ=マティ・ラトバラ(得意なラリーではローブを凌ぐ速さを持つ男)
フランソワ・デュバル(ベルギー史上最高の才能を持っていた男)
ハリ・ロバンペラ(最後のグラベルスペシャリストにして、三菱のエース)
ティエリー・ヌービル(ベルギーの期待を背負う現役トップドライバー)
最初のフィリップ・ブガルスキーは一般にこそあまり知られていないものの、シトロエンのマシン開発やプログラム立ち上げ時に多大な貢献をしたドライバーです。フランス人のターマックスペシャリストで、1999年には、なんと当時カテゴリーだったF2キットカーで2勝を記録しています。残念ながら、2012年に自宅の階段から落下死してしまいましたが、彼のシトロエンに注ぎ込んできた経験値はその後も活かされました。また、ジャン・ラニョッティらと共に「Taxiシリーズ」のスタントドライバーとしても活躍しています。
まあ、見出しだけ読んでも、ツワモノ揃いだというのが一目でわかりますよね。
そんなローブは、(心理戦には少し弱いものの)すべてのドライバーと比較してもトップクラスにやってくるのは間違いないと私は考えています。このランキングでは実際に走りを見たドライバーで選んでいますが、きっと全ドライバーを生で体感しても考えは変わらないのかな……と思ったり、思わなかったり。
とにかく、とんでもないドライバーでした。
おわりに:初めての短期連載、ありがとうございました!
以上で、この短期連載「YOU ARE MY SUNSHINE -私の熱狂したラリードライバーたち-」は今回で最終回となります。全10回では紹介しきれないドライバーも沢山出てしまいますけど、終わってみると「このくらいのサイズ感がちょうどいいなあ」と感じる自分がいました。
前回にも書きましたが、私は文章を通してモータースポーツの魅力をお伝えし、もっと多くの方にこの競技を知ってもらうのが目標です。
経験、文章力、表現力など、至らない箇所も多々あると思いますが、様々な経験を積み重ねていき、少しでもわかりやすくて面白い文章を綴れるように頑張ります。
これからも、よろしくお願いいたします!
2020.3.9
坂岡 ユウ
最後までお読みいただき、ありがとうございました。 いただいたサポートは取材や創作活動に役立てていきますので、よろしくお願いいたします……!!