見出し画像

それはいったい誰のため?

先日、他の方にコーティングを先月まで受けていて、今も毎日の振り返り続けているという方と話をしていた。
振り返ることに疲れてきたと言う。

「なんで?」
素朴な疑問である。自分の1日を振り返ることに何を疲れることがあるのか。

「うまく言葉にできなくて、日本語がおかしいと思って何度も書いては消して、時間がかかってしまうから」
つい、まだコーチングを続けていて振り返りを送ったりしているのか、と確認してしまった。答えは否。自分しか見ない文章なのだ。

手帳とかにね

「自分の1日を振り返るのに、うまく言い表せなくなって、それはその事実が大事。感情だとしても事柄だとしても。今の自分はそれを言語化できないんだと自覚するために振り返るのだから。
もしも、正しい日本語で書かないといけない、そういうものしか残しちゃいけないと思っているのだとしたら、自分に対して自分が開示できてないと思う」
と伝えた。

毎日の振り返りは、一言でも一行でも残しておき、自分を知るために行うものだと私は思っている。
実際に主役力を上げるためのワークでは定期的に振り返ることをおすすめしている。1日、1週間、1ヶ月、1年経って、あぁ自分はこの時こんなことで悩んでいたんだなと思えたら、それは成長や変化。同じことで悩んでいるとしたら傾向。

言い表せないことがあるとしたら、一言では難しくても思いつく単語を並べてもいい。
文章にならなければ箇条書きでもいい。
それでも表せないとしたら、自分にとって【言葉にできないあの事柄】でいいのだ。
おかしな日本語だと、書いたものを消して、いい表せてないと、また消して。それではうまく書けても自分が感じていたことから遠ざかっていないだろうか?

手帳やデバイスに残す振り返りは、取り繕わなくていい。
自分に対して自己開示できなければ、自分を知ることは他者を見るより難しい。


この記事が参加している募集

わたしの手帳術

気に入っていただけたら嬉しいです。 受け取ったサポートはサロン運営、ママの居場所を作るボランティア活動、さらに私が成長するための書籍代として使わせていただきます。