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プライベートが充実するアイリストが増える未来

「今日の私、なんか可愛い」は、毎日になる。

を掲げて3年。
豊中市にあるサロン。
豊中、箕面、池田、川西から通ってくださる皆さまの、“ごきげん”の源になれていたら良いなと思っています。

サロンが3周年を迎えました。


豊中に店舗を構えることにしてから、
新しいことに挑戦する楽しさと、
ベースを作る難しさ
自分の未熟さと、伸びしろ
毎日、毎週、毎月、想定内のことと想定外のことが起こるような3年間、感じたことは、あまたあります。
思考の癖と、逃げたくても逃げてはダメだという状況に、ほんの少し成長させてもらった3年間でした。

「もったいない」から始めた事業

美容師免許を持ちながら、拘束時間の長さに、妊娠と同時に辞めてしまう。
ママになって拘束時間の短い「アイリスト」(まつ毛の施術を行う技術者)になっても、時短勤務で日曜祝日入れないので、時給が低く抑えられてしまう。
個人事業主となって出来高契約したけど、入客が不安定。
ずっと入客できるけど、低く抑えられた価格で、忙しいのに、最終的に給料は高くない。

そんな話を、前職の時にいくつも聞いていた。
さらに、独立したけど、うまくいかなくて戻ってくる話も。
技術があり、接客が悪いわけではないのにどうしてうまくいかないんだろう?
起業に付随する多くの事務作業や、固定費が想定以上に起こるからだろうか。
そんな風に当時、考えていた。
独立できる子はいいけど、そもそも独立するのはちょっと、と思っている主婦などは、ずっとこのまま、安く使われるだけでいいのだろうか?
疲弊して疲れて辞めてしまう。

それは国家資格まで取っているのに、あまりにもったいない。

だったら、ママを中心に、ママでなくても独身も
プライベートが確保できる場所、サロンがあれば、いいんじゃない。

そして、私は店長代理と言われて実務を行い、休みの日のトラブルに対応するようなことも全て行っていた時も、ながらく時給950円だった。
他に正社員もいたし、もっと時給が高い技術者がいる中で、だ。
店長手当もつかず、子供のお迎えで家に帰るしかない私は、時間外に資料作りやチラシ作りなどを行なっていた。
店の中で1番給与が少ないにもかかわらず、なぜこんなに責任だけが重いのか。
店長がいなくなり、店長となった1年後、流石に時給交渉をした。
丸1日いられるわけじゃないから、「店長手当」はつかない。それならば、時給を上げてもらうしかない。
業績を上げているにもかかわらず、難色を示されて、悔しい気持ちになった。

あの頃の経験が、特に私を「技術に見合った給与が手にできる店」の開業へと向かわせていたように思う。

毎月の経費には、価値観が出る。
入れるスタッフが入ってくるまで日曜日祝日は開けない。
お店は18時まで。
そんな、経営で人件費を高くして本当にやっていけるのか?
揺れることはあっても、毎回
「私はなんのためにこの事業をやっているんだっけ?」
に立ち戻って物事を決めた。

潰してはいけない、と強く未来を想う

そして、この事業が潰れたら、
「ほらやっぱり美容業界の人間は、いつか独立したりするんだから、雇っている間は、安く使えばいいんだよ」
となってしまう。
絶対に潰さない、なんとか事業として成り立たせるんだ。
「連休取らない」「長時間労働」「週末、祝日休まない」が当たり前になっている美容業界に、そんな働き方がいい人もいればそうじゃない人間もいる。
そうじゃない人は「安く雇用する」のが当たり前じゃない、と広める1歩にするんだ。
と、常に考えていた。

充実しているアイリストは、お客様をきれいにする

今日から4年目。

心に余裕があれば、より良い提案や技術に対する努力をして、お客様のきれいをお手伝いするはずだ。
私の考えは、正直なところ全員の技術者に当てはまるわけではない。
それでも、私はこの方法で

「今日の私、なんか可愛い」毎日をお客様に贈りたい。
そして、技術者にもプライベートで充実し、得たインスピレーションを仕事の場で還元できる毎日を贈りたい。


これから誰を「ごきげん」にしていくのか。

私は、止まる。
歩く。
たまに、走る。

その先にある景色は、想像通りでなくてもいい。
ひたすら、楽しみだ。

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