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連載《教え子25~塾講師と生徒~淡くてほんのり苦い物語》「合格発表の日」

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 高校入試対策講座が終わった。
 この時期になると、塾では学年の呼び名が変わる。
 あと数ヶ月で新学年に進級するので、新中3、新中2、、、というように頭に“新”を付けるのだ。
 では、中学校、高校へ入学する学年はというと、やはり、新高1、新中1になる。
 経営的に、この新高1、新中1は、中学卒業と同時に退塾していく生徒たちの売上や生徒数を補う重要な学年であり、どの塾も早くから準備講座を用意して生徒数の確保に力を入れる。所謂、青田買いだ。
 バブルが弾け、さらにリーマンショックによる打撃で、各塾は“無料”で生徒数を確保していた。
 しかし、うちの塾に限っては、バブルもリーマンもなんのそので、坦々と新学年準備講座の受付が始まり、ちゃんと講座料もいただくのに、ちゃんと生徒が申込に来てくれ、どの学年も満員御礼で、新学年を迎えられそうであった。
 あるとき、隣町の塾を経営されている塾長が、
「あの、すみません、塾長様はおいででしょうか」
 と、訪ねてきた。
 なんでも、ウチの塾が“無料”の講座をしなくてもちゃんと生徒数が確保できている情報を聞きつけて、何故、そんなことができているのか知りたいというのであった。
 塾長は、その問いに対してスパッとこう言った。
「講師が日々、生徒目線で仕事に打ち込んでいるからです」
 訪ねてきた塾長は、顔を赤らめて、
「いや、こりゃあ、参った。ウチの先生たちだって頑張ってるのに、それでは足りないというんですか」
「よその塾の事情のことはわかりかねますが、生徒を呼び込むのはお金、すなわち“無料”にすることではなく、講師陣です。これだけは言えます」
 訪ねてきた塾長は、ウチの講師陣を見渡した。
 みんな遮二無二テキスト作りに没頭していた。
「ほう、手作りのテキストですか。テキストなんか業者のを使えば良いのに」
 それではダメなのだ。
 ウチの価値は講師が自分の意図する方向で自分のテキストで授業を展開することなのだ。
 しかし、そんなことは現場を一度見にきただけではわからない。
 俺は、ただ黙ってテキストを作った。
 答えがわからない不服そうな顔をして、その塾長は帰っていった。
 今日は、公立高校の合格発表の日だというのに、あの塾長は教室を放ったらかしかあ。

 最初の電話が鳴った。
「あ、先生? やったよ! 今ねえ、三浦さんと溝口さんも一緒。3人とも合格ー!」
「おお、そうかあ、おめでとう、三浦さんと溝口さんにもおめでとうって言っといてね」
「うん! 先生、ホント、ありがと、アタシね、、、エーン、エンエン」
「ちょっとかわって、先生、誰先生?」
「沢崎だよ。おめでとう、ほかに、ウチの塾の子、いない?」
「たぶんねえ、霞ヶ丘高のみんなは受かってる! 先生、ありがとう、すんごく嬉しい。溝口に代わるね」
「沢崎? イエーイ! 楽勝楽勝! 沢崎ってさあ、玉城と付き合ってるんでしょ? もう言っちゃいなよ。 みんな知ってるよー」
「バ、バ、バカなこと、言うもんじゃない、あ、そうそう、玉城さんは?」
「やっぱ、気になってるじゃーん。 ウフフ。 ねえみんな、玉城さん見なかった?」
 なんか電話口で何人かが何人かと口を聞いている。(玉城さん? 見た? え?)
 俺は、なんだか、胸騒ぎがしてきた。彩子がいない。。。
「もしもし、今、そこにいるのは誰と誰?」
「アタシでしょ、川ちゃんにのんちゃん、あと野球部の野口と伊勢原、籠町中の中村さんと太田さん、それとねえ、、、」
 一通り“聴取”が終わって、塾長をはじめ講師陣みんなに、霞ヶ丘高校に合格した生徒たちの名を報告した。
 そして、玉城さんだけ誰も姿を見ていないことも添えた。
 塾長はノートを取り出して、リストに丸印をつけていった。玉城さんのところで一瞬手を止めて、俺を見た。
 俺は、ギョッとした。
 講師陣も張り詰めた表情をしてこちらを見ている。
「沢崎先生、玉城さんのご自宅へ電話してもらえませんか」
「私がですか?」
 決まってるでしょ、とでも言いたげに塾長は見返してきた。講師陣もその意見に賛成のようだ。
「承知しました。 えー、なんか、嫌だなー」
「こういうことは、早いほうがいいんです、お願いします」
「はい」
 生徒名簿で玉城さんの電話番号を調べて、間違わないように1番1番、確かめながら電話をかけた。次第に汗がじんわりと出てくる。気づくと手は、汗でヌルヌルになっていた。
 呼び出し音が5つ鳴ったところで、お母さんが出た。
「あ、こちら、◯◯塾の沢崎と申します。お母さんでいらっしゃいますか」
「あ、沢崎先生、いつもお世話になっております。この度は、本当にありがとうございました」
「ありがとうと、申されますと、、、」
「はい、霞ヶ丘には見事に合格いたしました。これも、すべて、沢崎先生の、、、」
 はあ、全身の力がすーっと抜けてきて、思わず受話器が耳から落ちるところだった。
「あ、すみません、いやあ、ほかの生徒が玉城さんの姿を見かけなかったと言っていたものですから」
「ああ、あの子、途中で気分が悪くなっちゃったみたいで、保健室で横になっていたんです。ですから、私が代わりに見に行ったんです」
「そういうことでしたか、で、玉城さんは、もう大丈夫ですか」
「はい、早退させてもらったみたいで、家に帰ってきたら、ピンピンして、ホホホ、さっき、お腹が空いたと言い出して、急いでこしらえたラーメンをペロリと食べちゃって、ホホホ」
「それは良かったです。みんなで心配していたんですよ」
「後日、改めて、娘を連れてご挨拶に参りますので、この度は本当にありがとうございました」
「こちらこそ、ありがとうございました、それでは、失礼します」
 電話のやり取りから、塾長も講師陣も丸印だと分かったみたいではあったが、何故、現場にいなかったのかを知りたがっているらしく、
「玉城さん、途中で気分が悪くなって保健室で横になって早退したらしいです。代わりにお母さんが発表を見に行ってくれたとのことで、みなさんにはくれぐれもよろしくお伝えください。とのことでした」
 それを聞いてようやく塾長も安心したらしく、
「そうですか、ま、でも、良かった良かった」
 と、胸を撫で下ろした。
「だな、良かったな、沢崎!」
 と、茶々を入れてくる講師もいたが、それは軽くスルーした。

 夕方、小学生の授業が始まるまで、電話は鳴るわ、生徒が直接来てお礼を言ってくるわ、保護者同伴でお土産を持って来るわで、この日はバッタバタに忙しくなった。
 1日の最後に、塾長が講師陣に向かって言った。
「みなさん、今日は公立高校の合格発表の日でおつかれさまでした。不思議なことに、お伝えしなければならない、というか、嬉しいニュースがあります」
 と言って、みんなを見回した。(なんだと思うという顔で)
「実はですね、中3で、退塾を申し出てきた生徒が今年に限ってゼロです、今のところ。継続を伝えてきたのが24名で、72%。これはこの塾史上新記録です。

「ヒュー! スゲー! じゃあ、今晩は麻雀といきますかあ!」
「いいねえ、望むところだ!」
「みんな、麻雀好きだなー」
「じゃ、沢崎はいいよ、帰れよ」
「い、いや、別に、嫌じゃないですよ、行きましょう」
「玉城さんも合格したことだしな」
 講師と生徒の恋愛はご法度。その規律が何故か、俺たちだけ許されてる気がしてきた。
 塾長をチラッと見た。目が合った。塾長はノートに目を落としただただ微笑んだ。

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