お伊勢参り
長年の希望が叶い、やっとお参りできた。
日本随一のパワースポット、日本の神社界で頂点に立つ、あの“お伊勢さま”である。
結論:あそこを歩くことで何か感じる
私は何故、神様にお参りするのか。
苦しいときの神頼み?
これまで判然としなかったこの問いは、果たして明らかになるのであろうか。
もともと、私は姿を見せない神社の神様を、姿が明らかな仏像などで分かりやすいお寺より下に見ていた。
しかしながら、結界を跨いだ刹那、山、川、海、空、風、音、気、動、静、光、影、岩、石、砂利、植物、動物、昆虫などで埋め尽くされた別世界が、私に様々なメッセージを発し、私は、その熱量を終始受け止めることになるのであった。
それはそれは、大変しんどいおつとめであった。
立ち止まって目を閉じる。
すると、鳥の声や虫の声が耳に入ってくる。
少し耳を凝らすと葉が擦れたり人が砂利を歩く音が聞こえる。
五十鈴川のせせらぎや風の音は、都会で生まれ育った私でも何か懐かしさを感じて仕事の嫌なことやプライベートのゴタゴタはちっぽけにすら感じる。そうか、私は感じたくてお参りしているのか。
鈍感な自分を律するということではない。
これまでの経験や知見で解決出来ない課題のヒントを得たくて、神様ならば教えてくれるだろうと思ってきたのだ!
そのような視点で見るこの川は、なんと輝かしい色をしているんだろう!
参道に戻ると瞼の向こうから光が差したり陰ったり。
それら一つ一つの音や声が天から何かを告げるメッセージのように、大合唱で降り注ぐのだから、まったくたまったものではない。頭がクラクラして、歩くのがやっとの事であった。
よくお参りした方が「パワーをもらった」と言われたりするが、私にはパワーが強過ぎたようだ。
こんなことを言うと、マイナス思考な奴だと思われるかもしれぬ。
しかしながら、この熱量を受け止めて帰って来たからには、この先、自分だけで解決出来ない課題が立ちふさがったら、その時は自分以外の力、すなわち、人の手を借りる、助けを求めることで乗り切れると思えた。
外宮にお参りするとき
内宮にお参りするとき
「やっとお参りできました。はじめまして。お伊勢参りとはこういうことだったのですね。勉強になりました。ありがとうございました」
と、自然にご挨拶できた。
私も歳を取ったものだ。
「俺が法律だ。俺が神だ」と言って憚らなかった若い頃の自分を苦笑い。
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