タラレバ

という言葉がある。全員かならず経験する。
もちろん自分自身もそうで。
一番最初のタラレバは、中1。入って2ヶ月で帰宅中に自転車で転けて上顎骨折したけど、してなかったらどうなってたか。
これは高校まで影響があった。最後の治療のタイミングとホームステイのタイミングが被り、ホームステイに行けなかった。
ここで海外に行けるチャンスを失った。しかも、当時気になっていた人も参加していた…。
次は、専門に行くか大学に行くか。
付属だったので流れで大学行ったけど、すぐに専門行ってたらどうなってたか。
その大学でも、入りたかったゼミに入れなかった。それが後の自主退学するきっかけにもなるのですが、入れたらどうなってたか。
退学して入った専門でも、クラスの最初の飲み会に参加しなかったんですよ(あり得ないけど)。参加してたらもうちょっと仲良くなれた。
2年の時、ゼミでの地上波で流れるラジオ番組制作に集中しすぎて他の人より就活が遅れる。コネで手伝わせていただいていたラジオ局があって、入れそうだったけど、中々お金をもらえる段階に行かず、親がしびれきらして無しになる。その時点で卒業のタイミングだったので、そこから見つかるわけもなく、就職できず。いろいろ送ったけど全て鳴かず飛ばず。最初のラジオ局でしばらく我慢してたら…。
20110311。この時も、前の年の秋までやっていたTBSラジオの昔の番組をCDに焼くバイトが、やるネタがなくなり終了して、また路頭に迷いはじめ、またいろんな所に送れど一つも引っかからず、決まったけども土日のみのアルバイトで(今も働いてる場所)結局平日はいまだに路頭に迷い続けていて、でも、親を心配させたくないので、とりあえず外に出ていた。
その日も、無事に落ち、母校がある山梨県上野原に行こうと思って列車に乗った(早い話、その当時も昼を作ってもらっていて、上野原に向かう中央本線に当時、向かい合う席があり、机が付いていたのでそれに乗ったというのが正解)。上野原で降りようと思ったら寝過ごし、遠くまで行ってしまい、引き返し、一つ手前の駅に着いたタイミングであの瞬間を迎えた。
もし寝過ごさずに降りてたら、道を歩いてる最中に食らってたかもしれない。さすがに震え上がった。
その後も路頭に迷い続けますが(DJ始めたり)、30代になってカメラと出会う。
普通に就職してたらカメラには出会ってなかったと思う。そう思うと、今繋がってる方々にも会えてなかったと思うとそれはそれで震え上がる。
就職できてた方が絶対良かったし、少しはまともな方向に行ってた可能性もある。
37歳でいまだにアルバイト生活で実家暮らしで、2年間だけ一人暮らししていた時にできた借金をいまだに返しているような最低な生活だけど、人には恵まれてると思います。
こんなやつにも仲良くしてくださっている方々には感謝してもしきれない。
出会えてなかったら………考えたくもない。

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