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人より多くを望んだって

世の中の大人に言わせると、私の人生はすごく恵まれたものになるらしい。

食事に苦労しなかったから。病院に通えたから。大学に通えたから。働く先が見つかったから。住む家があるから。寝る場所があるから。

「育ててくれた親に感謝しなさい」と言われ、何とも言えない気持ちがふつふつとこみ上げてくるのを押し留めながら「そうですね」と笑顔を向けたのは何回あっただろう。

彼らは知らない。私が一時、大学のカウンセリング室に足を運んでいたことを。私の家庭では親子関係が逆転していることを。そうして得られた不信感と歪みによる生きづらさを。ネットから膨大な情報を頭に流し込んでようやく、自分の過去を受け入れられることを。



母親は元々不安定な人だった。祖母が不安定なことに起因しているのかもしれない。今でも記憶にあるのは、普段ニコニコしている父親が眉をひそめて「試し行動はやめてくれ」とため息をついている場面だ。いつ頃のことだったか定かではない。でも、そういう場面は確かに存在していた。

父親は仕事で家を留守にすることも珍しくなく、私にストレスの捌け口が向くようになった。母親の不安は「あなたのためを思って」という言葉のもとに私にぶつけられ、理想像の通りにならなければ無言の圧力か否定が飛んできた。
100点でなければダメ、努力したかもしれないけれど結果が伴っていないからダメ。
「あんたは賢くないんだから人より頑張ってようやく人並みになる」と得意げに言われたことを今更に思い出した。

母親も最初の子育てが不安だったのだろう。その不安を自分で片づけられなかっただけで。


自分の感情と母親の不安を同時に背負い、私は子どもとして生きることを許されなかった。そうして感情をひた隠しにする癖が身につき、“何を考えているのか分からない”と言われるほど取り繕うことばかり上手くなった。

あのときどうすればよかったのか、今でも分からないままでいる。






自身の病気のこと。親子関係のこと。私の中にある大きな歪みのこと。一回の人生に詰め込まれていいものではない、というのは言いすぎだろうか。

精一杯なんだ、もう。辛いのも悲しいのもこれ以上要らない。望んでもいないのに背負わされたおもりで今にも崩れ落ちそうなんだから。






0を100にすれば賞賛されるのに、-100を0にする努力は認められないのはどうしてだろう。

グレた人が更生したら褒め称えられるのに、真っ直ぐ生きてきた人が折れたら叱責されるのはどうしてだろう。

目に見える困難を抱えた人は応援されるのに、目に見えないところでハンデを負った人が黙殺されるのはどうしてだろう。

他人に罵声を浴びせればパワハラになるのに、親が子どもの人格を否定しても教育になるのはどうしてだろう。



こんな人生、少しくらい幸せになりたいと願ってもいいじゃない。

自由を望んだっていいじゃない。






世間一般で言われる親孝行をしたくないと言ったって、

心のままに生きたいと願ったって、

たとえ普通と呼ばれる生き方でなくても生きやすく生きたって、

それくらい許されないかな。






許してほしいな。

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