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自分の最期をデザインする-ACPについて、私が伝えたいこと。

ACPって何だろう

ACP(アドバンス・ケア・プランニング):自分の望む医療や看護を、自分で考えて文書化しておくこと。病気やけがで身体が不自由になってしまった場合でも、予め受けたい医療や看護を選択しておくことで、尊厳死の意思も含めた人生最後の時間を自分らしく過ごすことができる。

話しづらい?

話しづらい話題だとは思います。理屈で大切だと思っていても、「何かあったら」なんて自分のことだけでも考えたくないし、ましてや大切な人のこととなれば尚更。私の母も話を切り出してすぐに「そんなの考えられない」と言っていました。
でも、例えば余命宣告の後に「残された時間をどう過ごしたいですか?」なんて聞けなくないですか?話しづらいことは確かにそうだけど、元気なうちがまだ話しやすくないですか。

どんな治療・ケアを受けたいですか?

世の中には無数の医療があり、看護があります。どれを選ぶのもあなたの自由。人工呼吸器はつけたくない、とか胃ろうは作らないでほしい、とか積極的な延命処置はしないでほしい、とか。末期のがんだと宣告されたら治療は受けずに苦痛を取り除く処置だけは受けたい、という選択だってアリなわけです。最後まで身の周りのことは自分でしたい、などの思いがあるのならそれも大切にしてください。
治療やケアを受けるのは他でもないあなた自身ですから。

誰に決断を委ねたいですか?

自分で意思決定ができなくなったら。意識状態が悪くなって話せなくなったり、人の言うことが理解できなくなったら。
その時、あなたの代わりに医療やケアについて話してほしい人は誰ですか。家族、友人、パートナー、自分の子ども、あなたの考えをよく話していたりよく理解している人など。いない場合もあるでしょう。
意思不明となることも医療の現場では珍しくありません。特に現代の日本では普段話すことが少ない、あるいは全くないので。

考えていることが変わったら。

今色々と考えて決めても、その時になって変わるかもしれない。当然のことです。健康な時点で決めたことがいざとなったら正反対になるなんて、ありふれた話です。それでいいんです。一度決めたから一貫していなければ、なんて思わなくて大丈夫です。医療者はその辺りも含めて意思決定に関わるので、何も気にすることはありません。
最初の取っ掛かりとして、あるいは自分の考えを確認しておく意味で、まず最初の一回を考えてもらえたらと思います。

自分の最期をデザインする。

私たちはいつまで生きられるか分かりません。
1年後、1ヶ月後、1週間後、あるいは半日後に最期を迎えるかもしれません。
どんな最期になるのかも分かりません。
唐突に終わりを迎えるかもしれません。自分の意識がないままかもしれないし、ずっと思考力が保たれているかもしれない。
何があってもおかしくないからこそ、自分で考えられる“今”この瞬間に考えてみませんか。
より良い終わりを迎えるために。最期まで自分らしく生ききるために。

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