2度目の人生

何度も書いている通り、私は高校生の頃に鬱になった。午前2時〜3時に眠って、午前6時に目覚めて学校に行く毎日。授業は頭に入らないから成績はみるみるうちに下がり、300人中280位まで落ちた。何を見ても、何を聞いても感情が動かない。憂鬱がベースになるうち、いつの間にかそれは希死念慮に変わった。

(あ、もう無理だ)と一度思ってしまうと歯止めが効かなかった。電車を待つホームで線路を覗き込んだ。夜中の自室でカッターナイフを手首に押し当てた。枕に敷いたタオルを首にかけた。痛みもないのに鎮痛薬を服んだ。シャープペンで腿を引っ掻いた。爪で腕にみみず腫れを作った。固く握った手で頭を殴った。
生きるのが辛かった。息をすることが辛かった。心はとうの昔に腐り落ちているのに、身体が必死に生きようとするのが苦しかった。何度も死のうとして、その度に行動にできなかった。ここまでして生きていなければならないのかと絶望した。絶望してもなお生き続けてしまう自分が醜くて、死ねない自分がゾンビのようだと思った。20歳までに何も変わらなければ、自分を傷つけた大人と同じになってしまう前に全てを終わらせようと思った。
本当に、死にたかった。

そして4年と半年が経った。希死念慮は薄れた。自傷は止まった。絶望は相変わらず頭の片隅に居座っているけれど、それと同時に叶えたい夢ができた。これまでの傷が開くことはあっても、自分で包帯を巻けるようになった。

過去が、苦しいだけの記憶から困難を乗り越えるための糧になった。あの頃より楽だと思うときの、その“あの頃”ができた。どんな辛さも苦しさも、自分で自分の命を終わらせようとした決意に比べたら大したことではなかった。今日こそ実行しようと思いながら電車の正面を見つめた時間に比べたら、冷たいカッターナイフの刃に号泣した夜を思えば、人格否定も罵声も嘲笑も擦り傷のようなものだった。

20歳の誕生日を迎えることはなかったはずだった。それなのに私は21歳になって、今年には22歳になる。
20歳になる前に死んだ私。そこから始まった第二弾。一度は捨てた命が、もう一度生き直す2度目の人生。未来が明るいかなんて分からないし、もしかすると今までと比べものにならないくらいの生きづらさに見舞われるかもしれない。2回目の命を本当に終わらせてしまうかもしれない。
それでも、そうだとしても、今はまだ生きていたい。死にたくない。諦めたくない。もう少しだけ未来に期待してみたい。毎日を丁寧に積み上げていきたい。

想像もできないくらい綺麗な空の下で、大切な人たちと笑える日が来るまでは、幽霊になった過去の私と一緒に歩いていく。

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