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誰かの「良い」が、自分の基準になっていないか。


最近、このことをよく考える。

何かを選択する時に誰かの「良い」を、自分の判断基準にしすぎていないか。

そういう選択の仕方も、誰かの「良い」が溢れる世の中では必要なのかもしれない。それに「世間ではこれが話題になっているのか」と、中身を知っておくことも生きる上では大事だ。その分野のプロや大先輩が「これは良い」とおすすめするものはとても勉強になると思う。

実際に私も、お世話になる時がある。いろいろと足りていない私にとって、誰かの情報はとてもありがたい。でもなんだか、選択の方法をそれに頼りすぎるのは良くないのではないかと最近思う。肝心の物や内容自体ではなく、「誰」に焦点を当てているかが大事になっているような……そんな感じがする。「これが良い」ではなく「あの人が良いと言っているから」と。


とくにライターのお仕事をしていると、「誰の」や「どこの」情報という部分は重要になってくる。確かに、お仕事では気をつけなければならないことだと思う。でも、それ以外の時に、重点を置きすぎたり気にしすぎたりするのはどうなんだろう。それを主体にしてしまうと、自分で選択することを放棄しているように思えてしまった。


けして「誰かの良い」が悪いと言いたいわけではない。自分で中身を確認せず「誰かの良い」を、まるっと受け入れて「自分の良い」にしたり選択することをやめ、つねに「誰かの良い」で判断したりするのは危険じゃないかなと個人的に思った。


すぐに飛びつくのではなく中身を確認して、自分なりに理解してから手に取るか取らないかを判断しても遅くはないと思う。


最終的な判断は自分がする。1つ1つを丁寧に選んでいく。いろいろな人がしている「おすすめ」から、"人"を一旦除いて見てみる。


誰かの「良い」が入っているから、良いと思いこんでいないか。誰かの「良い」に頼りすぎていないか。フィルターをかけずに自分の「良い」や「好き」で判断できているか。

少し距離を置いて考えてみよう。
私も、もう少し意識していきたい。

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