見出し画像

感想文を書く時は狙いを定めるべし

こんにちは。先日に引き続いて、感想文・レポートを書くにあたって私が心がけていることを記載していこうと思う。

タイトルにもある通り。

感想文を書くときは狙いを定めるべし。

つまりどういうことか、感想をどの場所で抱いたのかを明確化するのである。読書感想文にしろ、大学のレポートにしろ、自分の意見を述べる場ではどこかしら自分の意見に変化が起こったポイントがあるはずである。物語を読んで感動したのであれば、どのタイミングでどう感動したのかを深堀するのである。映画を見て感動したのであれば、どのシーンでどうして涙があふれたのかをしっかり考えることが感想により深みを持たせるのである。

深く、自分の意見をつくるために感想を見出す対象を一つに絞るのだ。

では誰にでも通じる童話で試してみる。鶴の恩返しを読んで感想を述べなさいといった課題があったとしよう。

鶴の恩返しとは、おじいさんおばあさんに助けられた鶴が、自分が鶴であることを隠しながら機を織って恩返しをする話である。

焦点を絞って論点を固め、自分のフィールドで戦おう。さすれば、なんかぽい感想文はだれでも書ける。


これを読んで、私は「恩返し」とは何かについて考えさせられた。鶴が姿を見られると「もうここにはいられません」と去っていったシーンで、そう思ったのだ。

鶴の行動はただ恩を返したいの一心だったと思う。
でも見られたら出ていかなければならない。
なぜ?
機を織る鶴=異形だったから?それを鶴が見られたくないと思っていたから?

普通に恩返しがしたかったのであれば、姿が見えていても、機織りを続けていたのではないか、と私は思ってしまったのである。でも、鶴は何等かの理由をつけてその場から去っていった。見られる>恩返し である理由がどこかにあったのだろう。自分を本当に犠牲にして相手を助けられる人など、実際あまりいないと、薄情であるが思う。鶴だが。

結局、「恩返し」って相手のためではなくて自分のためなのではないかと思わされた瞬間だった。もちろん、それはネガディブに捉える必要はなくて、その行動によって相手(おじいさんおばあさん)がよろこんでくれればプラスだし、何も起こらなかったらゼロだ。

それが念頭にあるだけで、恩返しがあふれている日本のすばらしさを改めて感じた。次空き缶が道端に落ちていたら、率先して拾うとしよう。誰かのためではなく、自分のために。



この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?