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バーテンダーに恋をした話

 二十歳の頃、バーテンに恋をしたことがあった。半年間ほどの短い間だったけれど、周りのことが何も見えなくなるぐらい夢中になった。

 バーテンダーといえばいわゆる3Bである。3Bとは皆様もご存知だろうけど女ったらしだからろくな男じゃないぞ気をつけろという男性の属性のイニシャルを表した言葉である。「美容師」「バーテンダー」「バンドマン」この3つのイニシャルはいずれもB。そしてわたしはバンドマンとも付き合ったことがあるのでダメンズを二冠獲得したことになる。ちっとも自慢にならないけれど。

 そのバーテンの彼はバイト帰りに友人とたまたま立ち寄った店で働いていた。物腰が穏やかで話を聞くのが上手で、わたしの知らないような物事をたくさん知っている彼にわたしは興味をもち、徐々に惹かれていった。

 なにより彼は大人だった。それにいままで出会ったことのない種類の男性だった。そんなわたしの恋心を彼に見透かされていたのだろう。そんなこんなで会ってひと月ほどで特別に親密な関係になってしまった。そしてそれから更に親密な関係になってしまった頃に彼に奥さんがいることを知った。

 まんまと騙されたと思った。当然のこと彼と別れようとしたけれど彼は熱心にわたしを引き止めた。そこで彼の話なんかを聞く必要はなかったのだけど、奥さんが浮気しているかもしれないとか、家にもどこにも居場所が無くて僕は孤独なんだ、というような話をついつい聞かされているうちにすっかり情にほだされてしまった。決め手は嫁とは離婚したいんだという彼の言葉だった。こっちは所詮ハタチの小娘。ちょろいもんである。

 ああ、わたしはこの人からこんなにも必要とされているんだ、こんなにわたしのことを愛してくれているんだ、などとうっかり思ってしまい、まんまと彼の術中にはまってしまった。それにわたしの方にも惚れてしまっていた弱みもあった。そしていつか一緒になれるんだという思いもあった。そんなこんなで結局はきちんと別れることができず、ついついわたしは不倫と言う名の地獄のダンジョンに身を投じることに。

 彼はわざとなのかわざとじゃないのか分からないけれど、わたしのこころを揺さぶるのが上手かった。要するに手練れであった。

 彼のお店のカウンターに座っているときは他の女性客の前でもわたしのことを特別扱いしてくれたり、そうかと思えばわたしに見せつけるように他の女性客と親密に話し込んでみせたりした。わたしは彼から褒められたり可愛がられたりしながら自己肯定感を持ち上げられたかと思うと今度は逆に突き放されるような態度を見せられたりして、不安に駆られたり焦燥感に囚われたりしながら、ぐいぐいと彼のペースに引き込まれていくことになる。

 こんな波状攻撃にはまってしまったわたしは狂おしいほどの嫉妬心に身悶えしながらも彼に好かれようと一生懸命になったし、それこそ夜なんかベッドの上で言いなりになって頑張った。もともとわたしはドMだから言いなりにされるのは嫌いではない、というかむしろ興奮したりする。なのでこういう扱いをされるのはまんざらでもない。こんな具合にわたしは彼からどんどん離れられなくなっていった。

 でも結局彼とは半年ほどで別れることになった。というかわたしが振られた。きっと彼を想うわたしの言動が狂気の色を帯びてきたからではないかと思う。避妊しないでほしいとせがんだり、明日にでも奥さんと別れてほしいと毎日のようにせがむようになったわたしに彼は恐れをなしたのだろうか。会ってくれる機会もめっきり減って連絡をしても未読スルーになることが増えた。そしてそんなわたしはとうとう警察沙汰を起こしてしまう。
 
 彼から切り出された別れ話が紛糾し、三条河原町の辺りでわたしから逃げようとする彼が乗ったタクシーにしがみつき、大声で叫びながらタクシーの車体や窓ガラスをバンバン叩いてとうとう運転手さんに通報された。おまわりさんが四、五人きてわたしは囲まれて、幸いなことにおまわりさんからは事情を聞かれただけで、運転手さんからも責任を追求されることはなく事件にはならずに済んだ。とはいえ、もしお巡りさんが来てからも大声を出して暴れたりだとかタクシーに傷をつけたりしていたらパトカーで連行されていたかもしれない。

 こんな感じで3B男対ただの女子大生の対決はただの女子大生であるわたしの完敗に終わった。

 こうして書くまでもなく、つくづく不倫はしてはいけないと思う。彼の奥様がもしもわたしのことに気づいたらどんな思いをしただろう。そしてわたしは多分、奥様にいくら謝罪したところで償えるわけなんてないのだ。不倫はいけない。いまとなっては猛省している。

 でも正直言ってしまうと彼のことを恨んでいるかといわれるとそんなでもなかったりする。そう、警察沙汰になったときも彼はわたしを庇ってくれた。そんな彼のことをいい人だったなといまでも思ってしまう自分もいて、そんな自分が怖いなって思う。でも二度と会うことはない。それだけは間違いない。

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