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平手友梨奈の「角を曲がる」


みんなが期待するような人に

絶対になれなくてごめんなさい

ここにいるのに気付いてもらえないから

一人きりで角を曲がる

 平手友梨奈「角を曲がる」より


 いまから5年前の2019年の9月に開催された欅坂46東京ドーム公演の2日目に参戦した。そしてそれはきっと一生忘れることはない体験になった。

 2日間にわたるそのライブコンサートの2日目、2度目のアンコールで平手友梨奈がたったひとりでステージに上がってこの歌を全身全霊をこめて歌いきった。わたしはそれをステージ左側の2階席で観ていた。それは決して忘れることはないだろう刹那の集積でもあった。

 わたしにとって平手友梨奈は特別だ。いつだって特別だった。そしていまも。

 10代の終わりから4年間、わたしは欅坂46に夢中だった。とくに自分よりも4歳年下の平手友梨奈に夢中になった。欅坂46を好きになる前は乃木坂46が大好きだった。欅坂46がデビューしたときも乃木坂46のほうがいいと思っていたし欅坂46はそれほど魅力的なグループだとは思えなかった。でも次第に欅坂46にのめり込んでいき、3枚目のシングル曲「二人セゾン」の頃には欅坂46に夢中になっていた。

 欅坂46にそこまで夢中になったわけは共感だった。美人でエレガントで優等生の乃木坂46、そして影があって内面にすこし問題を抱えていて周囲にも上手く合わせることが出来なくて苦しんでいる欅坂46という感じにわたしには見えた。そして断然共感が湧くのは欅坂46のほうだった。

 彼女たちの中でも平手友梨奈はいろんなものを背負っていた。人気グループの顔としての責任。ファンからの期待に答えなければならないという責任。そして期待以上のパフォーマンスをしなければいけないという思い。そしてきっとそれだけじゃない、もっとたくさんの重たいもの。

 きっとその重圧からなんだろう、平手友梨奈から段々と笑顔が消えていった。怪我や体調不良で休むことも増えていった。そんな平手友梨奈を見ながらわたしはつらくなった。昔のような屈託のない笑顔を見せてほしいという気持ちと、カリスマとしてどれだけの高みまで登っていくのか見てみたいという気持ち。きっと後者の道はとても険しい道になるんだろう。そしてそれはさらに平手友梨奈を痛めつけるんだろう。


 わたしは虐待されて育った。家庭には一切関心を持とうとしなかった父、それからわたしに過度の期待をして体罰や精神的な虐待を続けた母。母に認めてもらいたかったし、期待に応えられない駄目な子だったわたしを許してほしかった。そんな母はわたしとわかり合うことなく亡くなった。わたしは宙ぶらりんに放り出された気がした。

 わたしとどう接したらよいのか分からなかった父は親としての厳しさをみせようとして急にわたしに厳しくあたろうとした。いままでずっと無責任でいたくせに、わたしのことなど何一つ知らない、知ろうともしなかったくせに急に父親ヅラをし始めた父にわたしははげしく反発して、家を出て複数の男の部屋を泊まりあるいたこともあった。学校にも行かなくなった。それは高校一年生のときだった。

 高校2年生になってから友人たちのおかげで立ち直れたような気がした。でもその後も周囲の大人の人たちに対する不信感みたいなものを引き摺りながら成長していた。亡くなった母に対する複雑な感情を持て余しながら、いつだって孤独感を埋められずにいた。いつも誰かから愛されたいと感じていた。強烈な渇きのような感覚は大学生になっても、社会人になってからも変わることはなかった。


 2019年9月。わたしのいたスタンド席から遠く離れた、でもわたしの目の前にスポットライトを浴びて平手友梨奈が立っていた。


 本当にいるんだ、本当にわたしの前にてちがいる。彼女を取り囲むようにして数万の緑色のサイリウムが暗闇の中に咲いている。たったひとりでステージ上にたたずむ彼女。グレーのセーラー服を着て、クラシックバレエのように舞い、身体をねじるようにして、折り曲げて、脚を引きずるようにしてときに赦しを乞うように腕を伸ばしながら魂を絞り出すようにして歌う平手友梨奈をみながらわたしは魂が揺さぶられて涙が止まらなくなった。

 彼女はわたしに勇気をだしてとか負けずに困難に立ち向かえとか、夢はきっと叶うというような安直な言葉を吐いたりはしない。まるでわたしの苦しみを受けとめて、それを昇華させる役割を引き受けてくれでもしたかのように、たとえそれは彼女自身から生まれた言葉ではなかったとしても、苦しみながら身悶えしながら平手友梨奈の心のなかからそのままの形で生まれ出たかのような剥き出しの言葉にして空に放つ。

 そして大勢の人達で埋めつくされた東京ドームのスタンド席でわたしはひとりきりで泣いた。何かをみてこんなにはげしく泣いたことはないというぐらい、わたしは声をあげて泣いた。


 お母さんが期待するような人に
 絶対になれなくてごめんなさい

 誰かが見ているわたしをみてくれているの?
 そうしてわたしもひとりきりで角をまがる


 満身創痍で、それでも全身全霊を込めて角を曲がるを歌う平手友梨奈はわたしにとって赦しだったんだろうか。


 誰かの歌に、あんなふうに自分がおかしくなるぐらい泣いて、心を揺さぶられたことはあのときの一度きりだ。そしてその時、もうこれ以上の感動を欅坂46から受け取ることはないだろうと思った。


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