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腕立て伏せ400回の代償

前回のエピソードを読んでいただいた方、ありがとうございます。
いかがでしたでしょうか?小学生の時、読書感想文が大の苦手だった僕の文章力はさておき、読んでくださった方にとって少しでも興味深いエピソードであったのなら幸いです。

さて、今回は合宿から2ヶ月ほど経って起きた出来事です。僕のテニス人生のターニングポイントの一つでもあります。
果たして「腕立て伏せ400回の代償」とは一体なんなのでしょうか。


400回

身体つきが細かった僕にとって、大学生がやるトレーニングはとにかくきついものでした。先輩方は身体が強い人が多くて羨ましかったなぁ。
僕は走ることに関してはそこそこでしたが、それでも化け物みたいに速い人もいました。やっぱり大学生になっていろんな人が強いところから集まると面白いですね。大学テニスまでやってよかった、その気持ちは当時も今も変わりません。

ある時、トレーニングで腕立て伏せ400回やった日がありました。400回ってエグくないですか?こんなの絶対誰がやっても最後までちゃんとしたフォームでできませんよ(笑)
その上、僕は今まで腕立て100回すらやったことなかったのに…。なぜか?実は僕、高校生の時に右肘を怪我しまして、それからは腕のトレーニングは控えてました。


怪我の発端

ここからは少し逸れますが、あれは確か高校2年生の冬。インターハイのシードを決める新人戦の前日の練習でした。

練習も終盤でマッチ練習をしている時のこと。
僕がサーブを打った瞬間、肘に鈍痛が走り力が抜け、ボールを打ったラケットは地面に叩きつけられました。痛っ!!!と思いながらラケットを拾おうとすると、力が入らず握れないくらいの痛みがありました。
痛みでラケットを握れないって、なんか漫画でありそうなワンシーンですね。あれ、自分手塚国光じゃね?って。テニスの王子様の見すぎかな?

翌日からの試合は痛み止めとアドレナリンで、肘に違和感を感じながらも勝ち進み、新人戦県大会で準優勝、インターハイ予選のシードはなんとか勝ち取りました。
我ながら頑張りましたねぇ。というより、決勝まで6試合、最後までできたことが奇跡みたいなものです。

試合後すぐ病院へ行き、レントゲン、MRIの結果から怪我が離断性骨軟骨炎(りだんせいこつなんこつえん)だと分かりました。離断性骨軟骨炎とはいわゆる”ねずみ“ってやつですね。よく野球のピッチャーがなる怪我です。
関節内で軟骨が剥がれ落ち、遊離した軟骨が肘の中で動くことでズレや引っ掛かりといった症状が出ます。当然痛いですし、軟骨が関節内で動くので気持ち悪い感覚です。
高校生で怪我した時は剥がれているに留まり、完全には遊離していなかったので手術をせず、1ヶ月程度休めば復帰できました。そのおかげで高校3年性の最後のインターハイも間に合いました(ハァハァ…)


手術

肘がこんな状態にもかかわらず、控えていた腕立てをいきなり400回やったことで取れかけだった軟骨が完全に剥がれ落ちてしまったんです。
なんで今まで控えていた腕立てをやってしまったのか。なぜでしょう。単純にきついトレーニングをサボってると思われたくなかったからです。しょうもない理由ですよね、我ながらみっともない。
その時はまだ入部して2ヶ月しか経ってませんでしたから、自然とやらなきゃいけないと思っていたんだと思います。その結果が手術という大きな代償を負うことになったのです。本当、自己管理ができない大馬鹿者ですよ、まったく。

しかし、手術が決まっても意外にも冷静いられました。「あ、手術すれば治るんだ」とか「テニスから少しの間離れられる」そう思ったら焦りはほとんどありませんでした。
思えば高校の時も、どんな怪我なのか言われても焦りはあまりなかった記憶があります。「テニス少し休憩できる」、「少しの間休めばまたできるようになる」そんな風に思っていました。のんきだな(ボソッ)。

怪我したからといって激しく落ち込んだり悲観的にならずにいられたのは、間違いなく、日ごろから見てくださったコーチ、トレーナー、それからトレーナーが紹介してくれた腕利きの先生のおかげです。
「治るから大丈夫だよ」その一言で気持ちが楽になりました。トレーナーの方には手術後も定期的に見ていただき、その後大きな怪我もなく続けてこられました。
周囲の環境に恵まれていたことに感謝しかありません。


変わるテニス人生

手術は僕にとっては、ある意味大きなプラスとなりました。
手術してから自分の身体について見直すきっかけになり、完治してからは怪我をしない身体づくりに取り組みました。術後は1カ月半くらいでしたので、その期間は練習のサポートをしながら空いた時間はランニングやその他腕以外のトレーニング。そのおかげで身体も少し強くなり、少し先の話ですが2年、3年では結果も少しついてきてテニスを楽しいと思える時間が続きました。
でも一番は、一度肘が完全に潰れ、手術するしかなくなったことで、後々、怪我を庇いながら騙し騙しやらずに済んだこと、これに尽きます。要するに結果オーライってことですね!
それから、他人のプレーを見る機会が増え、自分のプレーを客観的に分析できるようになった、これもその後のテニスに大きく役立つことになります。僕、今まで本当に他の人のプレーを見ることに関心が無かったんです。しかし、自分がプレーできない間はチームメイトのプレーを見ることしかできません。ですから、自然と他人のプレーを見ることの癖がつきました。そうして、見たものを自分なりに分析して良いものは自分に取り入れたことで自分のテニスに変化を与えることができました。

よくできる人を真似ることは上達への近道であることを改めて実感しましたし、これはスポーツだけでなく仕事や生活習慣にも言えることですよね。


ちなみに、この怪我は内視鏡による手術なので、メスを入れない分、術後の負担も少なくすみます。僕の右肘には4つの小さな穴が開けられ、そこから4つの軟骨の破片が取り除かれました。
取った軟骨はホルマリン漬けにされて今でも自宅で保管してありますよ。見ますか?(笑)



次回

今回もエピソードを最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
みなさんの人生におけるターニングポイントはどんなことですか?
きっかけは後々振り返ってみないと気付かないものですよね。
がむしゃらにやってきたことが結果的に何かを変える出来事になってるものなんだなぁ。

さて次回は、『初めてのリーグ戦 開幕!』です。
大学テニスにおける一大イベントについてなので、ぜひ見てください。

ではまた。

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