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読書日記 『限りなく透明に近いブルー』

村上 龍 作


【一行説明】                            ドラッグとセックスに溺れる売春婦、ヒモ、そしてポン引きの荒れた青春


【趣旨】                              横田基地を抱える東京都福生市、ポン引きのリュウは取り巻きと共にドラッグとセックスに溺れる日々を描く。欲望のままに陶酔を追い続け、繰り返されるドラッグはやがてサイケデリアとリアリティの境目をぼやかし、リュウの身体と精神を蝕んでいく。


【考察・感想】                           ドラッグ、セックス、暴力とスリリングで生々しいスリリングな内容に、反吐が出るような胸糞悪い描写が多く登場するが、作者の秀逸な比喩表現によりどこか心地よく読み込むことが出来た。そして作中に登場する楽曲は時代を象徴し、世代の人達によってはノスタルジックな気分に浸らせるであろう。

何度も出てくる物が散乱し荒れた部屋や腐敗した食べ物が放置されたキッチンの描写は、ドラッグによって荒廃したリュウたちの生活を象徴するものであると思った。身体を売るモコ、ケイ、レイコは「白ける」という言葉を時折放ち、今を楽しもうとドラッグとセックスに溺れる。対照的にオキナワやヨシヤマ達は、このままではいけないとわかりながらも、止めることの出来ない。ここにドラッグの恐ろしさを垣間見ることをできた。

本作に散りばめられたパインや虫の描写は、現在の、そして未来のリュウのメタファーに感じられた。

ゴキブリはケチャップがドロリと溜まった皿に頭を突っ込んで背中が油で濡れている。ゴキブリをつぶすといろいろな色の液が出るが、今のあいつの腹の中は赤いかもしれない

冒頭のこの描写では、周囲の環境によって身体の芯まで染まる、つまりドラッグに囲まれた環境において、それは体の芯まで染め上げ身体を蝕んでいることを表しているのではないだろうか。冒頭のヘロインで死にかけていたリュウはここからより一層ドラッグの泥沼に嵌っていく。

序盤から登場する部屋にあるパインは、現状態のリュウを象徴する。この場面では切り口から悪くなり始めていた。一方、この段階でのリュウはドラッグを使うもジャンキーと呼べる状態にはまだない。

ポプラの幹に留まっていた硬い殻をもった虫が、風で強められた雨にとばされ、流れる水に逆らって進もうとしている。ああいう甲虫には帰り着く巣があるのだろうか。/虫は石に這い上がって方向を決めている。安全だと思ったのか草の茂みに降り、それらを薙ぎ倒して流れてくる雨水に呑まれてしまった。

セックスと繰り返されるドラッグで堕落した生活を送るリュウは、麻薬の抗い難い魔力に為すすべなく流され飲み込まれていく。しかしこの薬物に囲まれた生活から逃れようにも、他に当てになるような帰る巣も存在しない。


そしてフェスの次の日の朝、リュウは部屋に放置されたパインの臭気に吐き気を催す。この頃にはパインは完全に腐り、同じくしてリュウも繰り返されるヘロインの影響で壊れ始めていた。そしてリュウはそれを拾い上げると、鳥に餌付けてやろうと外に投げる。


リュウは、リリーの部屋で一匹の蛾を見つける。

僕はマラルメの背表紙で、黒と白の縞模様がある蛾の腹を押し潰した。蛾は膨らんだ腹から体液が漏れる音とは別の小さな鳴き声をだした。

ここで潰した蛾はこのままドラッグ使えば待ち受けていたリュウの結末をメタファーしたものに私には思えた。


繰り返されるヘロインの影響によって幻覚と現実の線引きが曖昧になったリュウは大きな黒い「鳥」の幻覚に追われる。この「黒い鳥」とはドラッグが完全にその人間を飲み込み精神を完全に侵されることの暗喩ではないだろうか。そしてこの鳥は現実でのリュウの家の傍に現れる「鳥」とリンクしている、というよりも派生したというべきかもしれない。現実の「鳥」、グリーンアイズから言われた言葉、そして言い表しがたい恐怖が酩酊状態で混ざり合い創り出された幻影である。

緑色の体液を含んだ柔らかい腹を押し潰した巨大な何かが、この僕の一部であることを知らずに死んだのだ。今僕はあの蛾とまったく同じようにして、黒い鳥から押し潰されようとしている。
俺は知ってるよ、蛾は俺に気が付かなかった、俺は気が付いたよ。鳥さ、大きな黒い鳥だよ。

この時、リュウは侵された自分と自ら潰した蛾をはっきりと重ねている。


鳥は殺さなきゃだめなんだ、鳥を殺さなきゃ俺は俺のことがわからなくなるんだ、鳥は邪魔しているよ、俺が見ようとするものを俺から隠しているんだ。俺は鳥を殺すよ、リリー、鳥を殺さなきゃ俺が殺されるよ。

黒い鳥は、リュウを飲み込まんとし、世界を歪ませていく。このままではいけないと気づいたリュウは発狂状態のままそれから逃れようともがき回る。

小石と同じようになったこの蛾と同じようにからだを硬く乾燥させてしまわない限り、鳥から逃れることは出来ない。

しかし一度麻薬の味を占めると、人はその快楽を渇望し逃れられなくなる。それは死ぬまで続く。リュウもそのことは理解しているようだ。


夜明けを告げる白い起伏、全てを一瞬透明に染め上げる光は、陶酔状態で発狂しかけているリュウを覚醒させ正気に戻した。この白い光が何を象徴するものであるかは読み取れなかった。しかし確かなことは、「黒い鳥」に飲み込まれかけていたリュウをドラッグの深淵から救い出したものはこの光だろう。その光が映ったガラスは「限りなく透明に近いブルー」であった、と。リュウはこのガラスのようになり、彼を救った光を他の人に見せたいと語った。これは麻薬を絶つ決意であり、絶った暁には同じような人を救いたいとの思いではないかと私は読み取った。

明け方、リュウが捨てたパイナップルは鳥に食べられることなくまだそこにあった。もし、リュウが昨夜、「黒い鳥」に完全に飲み込まれれば、このパイナップルは同じよう、既にあの「鳥」に啄まれていただろう。


読み終わって感じたことは、映画トレインスポッティングを見た後のような。しかし、あの時よりも何か気分が良い、本当に言い表し難いが綺麗な気分がする。これは終盤の光の描写、そしてそれが映ったガラスが何か美しい余韻を残してくれたからだと思う。

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