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幸せの国ブータンに来たと思ったら、ガイドに置き去りにされた思い出【後編】

※上の画像はブータンの犬。ブータンの野良犬はどの子もふさふさで可愛かった。

前半はこちら↓


④下山中の出来事

僧院内部を見学したあと、早速下山することになった。僧院自体は見学するところが多くあるわけではないので、思ったよりも短い滞在時間となった。

ガイドと僕はガンガン下山していった。景色は往路で見ているし、特に立ち止まって写真を撮るものもなかったので、別に急いでいるわけではなかったが、さっさと歩いた。僕はやることをやったら速やかに立ち去るタイプで、あまり名残惜しさを感じないため、またもやガイドのペースに心地良さを感じでいた。

そこまでは良かったのだが、突然、ガイドがその辺の岩に腰掛けてしまった。体調が悪くなったのかと思い聞いてみると、別にそういう訳ではないようだ。別に疲れたわけでもないらしい。ではどうしたのかと聞いてみると

「別に一緒に行動する必要もないから、先に降りててよ。オレここで休んでからあとから行くからさ」

と言うではないか。

置き去りはいつものパターンだったが、ここに来て新しいパターン

「先に行け!!」

の発動である。

元から自由なガイドだったので、こう言われても不思議ではないかも知れない。

しかし、である。

道が単純とはいえ、始めての山道である以上迷わないとは限らない。実際にいくつか分岐があった気がする。

下に早く着いたところで、車は降りたところとは別の場所に移動しているはずだ。どこに行けば分からなくなるし、第一、連絡手段がないのにどうやって落ち合うつもりだろうか。

色々と腑に落ちなかったので、申し訳ないが一緒についてきてもらいたかった。ただ、ザ・典型的な日本人の僕は、ここで要求を言ってこのあとの旅行が気まずくならないだろうか?と大変心配になった。

しかし、ここで何も言わないともやもやが頭に残ってしまい、それはそれで晴れない気分で旅行を続けることになる。思ったことはきちんと言葉にすることが大事だよなと思い返し、きちんと要求をガイドに伝えることにした。

すると、男同士こんなずっと一緒に歩くことないだろ!と、これまた思わぬ反応が返ってきたため、そういう話をしているのではないと伝えた。あとからトラブルになるのを心配している、ということや、正直言って責任を持って旅行者が下山するのを見守るのもガイドの仕事だと思う、という自分の考えも伝え、納得してもらった。

そのようなやり取りを経て、なんとか下まで戻ってくることが出来た。最後の最後で予想外の展開になったが、それなりにきちんと話をまとめられて何よりであった。体力的な面では余裕だったものの、どちらかと言えば精神的に疲れた登山であった。

ただ、ちゃんと自分の思いを言葉にする大切さを実感した出来事でもあったと、今になっては思える。

⑤思わぬ出会い


タクツァン僧院から戻ったあと、しばし街歩きを楽しむことになった。本当は街歩きの予定はなかったのだが、タクツァン僧院から戻ってくるのが予定よりかなり早かったために、夕食まで時間を潰す必要があったためである。



趣のあるデザインが素敵な街並み

お土産のビールなどを買いつつ気ままに街を歩いていたところ、ある商店の軒先に座っていた御婦人に英語で声をかけられた。

話を聞いてみると、御婦人はかつて日本に住んでいたそうだ。僕の身なりなら日本人ではないかと思い、気になって声をかけてみたらしい。

聞けば、かつてご夫婦で日本の大学に留学されていたそうで、過去の日本での生活について色々と語ってくれた。とても日本を気に入ってくれているようで、日本での思い出を楽しそうに話すのを見て、こちらまで嬉しくなったのを今でも覚えている。

そうこうしているうちに時間が経ち、夕食へ向かう時間となった。つかの間の出来事だったが、観光だけでは得られない、良い時間を過ごすことができたと思う。

⑥お別れと、個性的なDruk air

ついに最終日を迎えた。無事に空港に到着し、ガイドと阿○寛に別れを告げた。

最後は挨拶もそこそこにさっさと帰ってしまうのではと思ったが、そんなことはなく、ガイドは「ありがとう、また来てね」と言葉をかけて見送ってくれた。社交辞令だとは思うが、いろいろあったので、暖かい言葉をかけてもらえて嬉しかった。このガイドでなければ(色々な意味で)体験できないことがたくさんあったと思う。

無事にバンコク行きの飛行機は出発した。行きと同様Druk air のフライトである。特に異常などはない平和なフライトだったのだが、食事のサービスが終わったあと、突然宝くじのようなスクラッチカードが配られたので、嫌な予感がした。


突然配られたスクラッチカード。ハズレだった。


なぜなら、参加が半ば強制されるようなイベントが僕は嫌いなのである。

最たる例が小学生の頃のバスレクである。別に何もせず思い思いに過ごしてりゃいいものの、なぜわざわざやりたくもないゲームに参加しなきゃいけないのか。あまり乗り気ではなかったせいかよく「おい、どうした?元気ないぞ!」と言われたものだが大きなお世話である。楽しいはずの旅行でやりたくないことをやらされて、誰が元気でいられようか。

話が逸れたが、とにかくイベントが始まってしまったようだ。どうやらスクラッチカードを各々で削り、当たりが出たら何か良いことがあるようだ。

僕も削ってはみたがどうやら外れたようである。しばらく経ってから、遠くの席から拍手とクルーの歓声が聞こえてきた。どうやらイベントは終わったようで、一安心である。

かと思ったら、次はかなり立派な封筒が一人ひとりに配られた。クルーに確認したところアンケートだという。航空会社がアンケートを実施するのは別に珍しくはないだろうが、大体URLを共有してあとからスマホで答えるのが主流だと思っていた。この時代でも紙のアンケートを配るなんて、会社としてかなりサービス改善に力を入れているということなのだろうか。せっかくなので記入させて頂いた。


アンケート。質の良い紙で用意されていて驚いた。


バンコクに到着する直前、となりの乗客の男性から「入国カードを書くからペンを貸してほしい」と言われたので貸した。

すぐには返ってこなかったのだが、到着後、その男性はペンを返さず、爽やかな笑顔で颯爽と降りて行こうとしたので慌てて止めた。

無事にペンを回収できたので良かった。危うく最後の最後でペンを取り戻せず、嫌な体験で旅を締めくくる羽目になるところであった。

4時間ほどのフライトにもかかわらず立て続けに色々とあったため、かなり印象に残っている。雑多な書き方で申し訳ないが、最後の最後まで油断ならないな、と思ったフライトであった。

無事にバンコクに降り立ち、これでようやくブータン旅行が終わった。まだ日本には着いていないものの、大都会バンコクで一泊する予定なのでワクワクしている。とりあえずの一区切りがついた感覚であった。

これにてブータンの思い出は終了である。

何を思ったか、僕はブータンの現地通貨を敢えて使い切らずに持って帰ってきてしまったので、(最後にテンションが上がり、またくるぞ!と信じて敢えて取っておいたのだ)それを無駄にしないためにもまた行きたいとは思っている。

ガイドなしの自由旅行も解禁されたようだし、また違った経験ができるかも知れない。


⑦おまけ

・幸せについて

そもそも、ブータンに来たいと思ったのは「幸せの国とは一体どういうものか」というのを知りたかったのが大きい。

では、旅をして自分なりに答えが得られたかと言われると、正直に言って得られなかった。

というのも、何もブータンだからみんな幸せである、ということはなく、日本や他の国と同じなのではと思ったからである。

言われなくても当たり前だと今なら感じるのだが、とうやら僕はブータンに自分勝手なイメージを抱いていたようだ。幸せの国だから、みんな幸せに違いない、という大変単純なイメージである。

現地の人が幸せかどうかなんて、数日旅行したくらいで分かるはずがない。いや、例え住んだとしても分からないかも知れない。

確実なのは、みんな自分の生活のために必死で暮らしていることである。ガイドだって阿○寛だってそだ。

幸せの国の幸せがどんなものかは分からなかったが、少なくとも僕はブータンを訪れることができて幸せであった。この上ない絶景を毎日見ることができて、個性的な人たちとの思い出もできた。


・置き去り型のガイドについて

今回の旅行の思い出を語る上で、何よりもガイドの存在は欠かせないものであった。ガイドにも色々な人があるとは思うし、そもそもツアー型の旅行は初めてだったので他と比較はできないのだが、かなり自由なガイドに当たった方だと思う。

置き去りにされはしたものの、快適な旅を楽しむことができたのは、ガイドが僕の希望に対して柔軟に対応してくれたからに他ならない。ここで言ってもしょうがないのは百も承知だが、改めてお礼を言っておきたい。

蛇足だが、言うまでもなくブータンのガイドが全員置き去り型という訳では決してない。

旅行中に別の日本人旅行客の方々と会うことが複数回あり、その度に

「ブータンのガイドさんって自由ですよね?どんどん先に行かれてしまうんですよね〜」

と何気なく言ったところ、みな

「ええっ?ホントですか?そんなこと一度もなかったですよ!」

と大変驚いていたことから、普通ではないということだろう。

なので、これからブータンに行く人はぜひ安心して頂きたい。大切なのは、何をしてほしいかきちんと伝えることだと思う。心配であれば日本語が出来るガイドについてきてもらうのが安心だろう。


・言語について

ブータンにはもちろん現地の言葉が存在する。しかし、ブータンでは英語教育に力が入れられているようで、国民の多くが英語を話す。

今回の旅行でも、ガイド、阿○寛、御婦人を含む多くの人が英語を話すことができた。もちろん人による語学力の差はあるだろうが、英語さえ分かれば現地での意思疎通が困難になる可能性は低いだろう。

ガイドについては、基本は英語ガイドがデフォルトで、オプション料金を払えば日本語ガイドに変更可能であったと記憶している。僕は英語ガイドを選んだ。

ちなみに、今回のガイドは「日本語を勉強して、日本語ガイドになりたい」と夢を語っていた。ぜひ夢を叶えてほしいし、よければ「シャチョさん!」以外の挨拶も習得してほしいところだ。


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