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幸せの国ブータンに来たと思ったら、ガイドに置き去りにされた思い出【前編】

①計画〜旅の幕開け編


2017年、まだ僕が学生だったころの話である。

「世界一幸せな国」としてメディアに注目されて以来、ずっと行きたいと思っていたブータンに行ってきた。
割りと注目されている(と僕は思っていた)国だったので、誘えば友人の一人や二人ぐらいは一緒に行ってくれると思っていたが、皆一様にして

「え、ブータン?ああ、確かに最近有名だよね!うん…。え、マジで行くの?」

という妙に渋い反応を返してきたため、

「はい、マジで行くんですよ」

と事実を伝えたところ、もれなく

「いや~今回はいいかな」

とのことだったので、一人で行くことになった。

「今回は」と言ってはいるものの、別に次回が訪れることはあるまい。当時、一人旅は経験がなく少し抵抗があったのだが、せっかく行きたいと思った自分の気持ちを抑えるわけにはいかないと思ったのだ。それに学生は割引料金で旅行できたので、行けるうちに行っておきたかった。

とにかく日本では「幸せの国」として報じられていたブータンであったが、僕は「幸せ」のイメージ以外に一切具体的なイメージをブータンに持っていなかった。ただ、「ここまで幸せを強調するのであれば、国民はさぞかし穏やかで素晴らしい暮らしをしているに違いない!」という妄想はどんどん膨らんでいた。

幸せであれば、きっと外国人にも親切にしてくれる余裕があるはずだから、優しい人にたくさん出会えるに決まってる。そんな期待を無意識に、かつ勝手にしていたわけであるが、この期待こそが、ブータン旅行が良くも悪くも印象に残るきっかけとなるのであった。

今は状況が変わっているが、当時は個人でブータン国内をほっつきまわることは許されておらず、たとえ一人旅であっても必ずガイド付きのツアー形式で旅行する必要があった。そのため、ガイドの質が良い旅行のためには大切だと思い、ブータン専門の旅行会社を利用することにした。なんとなく、専門旅行会社のほうが熟練のガイドに当たりそうだと思ったからである。

それ自体はよかったものの、旅行会社がブータンにあったため、旅行料金はわざわざブータンの銀行まで振り込む必要があった(クレジット払いは不可であった)。そのため近所の郵便局まで振り込みのために出向いたのだが、郵便局の職員に

「へえっ、どちらにお振込みですか?あいや、ブータン!え、行かれるんですか?なんで?ご旅行??はあ~そうですか…それはそれは、お気をつけて…」

と、これまた珍奇なモノを見るような反応をされたのが強く印象に残っている。幸せの国で、国王がイケメンだ!といろいろと日本で話題のブータンだったが、それでもここまで珍しがられるものか、と少々意外に思ったものである。

無事に送金を終え、出発の日を迎えた。日本からブータンへの直行便はなく、バンコクやシンガポールを経由して行くのが一般的であり、僕はバンコク経由で向かった。日本を夕方に出発してバンコクに深夜着、その後空港で一晩過ごして、早朝発のフライトでブータンのパロ空港へと向かったのだった。


パロ空港にて。利用したdrukairの看板。Drukairはなかなか個性的な会社だったよ。


空港で荷物を受け取り外に出ると、実に見晴らしの良い景色が目の前に広がっていた。自然が好きな僕にとっては大変嬉しい瞬間であり、こんな自然を旅行中見ていられると思うと非常に心が踊ったものである。


ふとした瞬間に撮った風景。空港の近くの風景ではないけれど、どこもかしこも絶景だらけだった。


旅の始まりにふさわしい明るい気分になったところで、付近で待っているはずのガイドを探さねばならなかった。

ガイドといえば、空港の到着ロビーに出てすぐの場所でネームボードを掲げているイメージがあり、簡単に見つかると思っていたのだが、これがなかなか見つからなかった。

同じ便で到着した他の乗客たちがどんどんいなくなっていく中、自分だけガイドを見つけられないとは、これでは幸せどころかただの焦りしか感じられないじゃないか。

はて?と思い、スーツケースをガラガラ引いて少し空港の外を歩いてみると、何やらキョロキョロと誰かを探している様子の男性を二人見つけた。

もしや?と思い声をかけてみると、案の定彼らがガイドとドライバーであった。空港の出口付近にいたほうがお互い見つけやすいんじゃないかな…と思いつつ、初日からガイドにドタキャンされるという、幸せもへったくれもない出来事にならなかったことへの安堵が大きかったため、安心してとりあえず自己紹介した。

そのガイドは自己紹介もそこそこに、いきなり

「シャチョさん!シャチョさん!」

と連呼した。なんか古い気がするなあ…と思いつつも、相手はこちらのことを思って言ってくれているはずなので、なんとも言えない笑顔でやり過ごして僕は車に乗り込んだ。こういうノリに対する上手い返し方があれば教えて頂きたいものだ。そもそも、このノリが合う年代がズレている気もするのだが、どうだったのだろうか(ちなみに当時僕は24歳、ガイドはたしか30歳くらいである)。

車が出発したあと、ブータンについての紹介や、これからの旅程について説明があるのかと思いきや、今度はドライバーが

「自分はよく俳優の阿○寛に似ていると言われる」

という話をいきなり始めたものだからさらに戸惑った。ドライバーに至ってはまだ名前すら聞いてないじゃないか。

話を聞いてみると、一度日本人の観光客に「阿○寛に似ている」と言われたのをきっかけに、他の日本人観光客に「自分は阿○寛に似てるか?」と聞いたところ、皆一様にして「似ている」と言ってくれたので嬉しかったらしい。それ以来、日本人が来たら毎回必ず「自分は阿○寛に似ている」旨を言うようにしているのだそうだ。

そりゃ、確かに似ていなくはないし、特に否定する理由もないので、「そうですね、確かに阿○寛そっくりですね!」ととりあえず言ったところ、ドライバーは大変満足そうな表情を浮かべたのち口を閉じた。ようやく話が一区切りついたようである。ガイドによる今後の予定についての話に移ってホッとした。恐らくこのドライバーは、阿○寛に似ていると言われることで自信を得られるのだろう。急のことではあったが、僕も無事に彼の自信向上に貢献できたようだ。言うのはタダなので全然構わない。ぜひその自信を胸に、安全運転を心がけて頂きたいものである。

ガイドについては名前が分かったが、ドライバーの本名は分からずじまい(阿○寛関連の話の中で言っていたかも知れないが分からなかった)だったため、仕方がなくドライバーのことを阿○寛と呼ばざるを得なくなった。別に本名を聞けばよかったのかも知れないが、海外の名前は発音が難しくて正しく呼べないときもあるし、本人も阿○寛と呼ばれて満更でもなさそうだったので、まあちょうど良かったということにさせて頂ければと思う。したがって、本記事でもドライバーのことを阿○寛とさせていただく。

かくして、ブータンの旅は幕を開けた。
なんとも言えない幕開けである。
ただ、これがブータン流のおもてなしかも知れないから、とりあえず何事も受け入れないと、と自分を納得させ、半ば不安な気持ちで大自然の中を車で突っ走って行ったのだった。


②置き去り型ガイドとの観光編


シャチョーさんと阿○寛のやり取りを無事にやり過ごしたあと、早速寺院への観光へ移った。

ブータンでは合わせて10もの寺院を訪れたが、どれも趣深く、見るだけで心が静まった。他の東南アジア(ミャンマーやタイ、ラオスなど)では金ピカの寺院が多く、それはそれで圧倒されるのだが、ブータンの寺院はどこも静寂で、かつ荘厳な存在感を放っていた。6年だった今でも心がざわつくときに恋しくなるような、そんな雰囲気が思い出に残っている。おまけにどの寺院も見渡す限りの絶景に囲まれているので、どこを切り取っても素晴らしい景色を見ることができた。その場でいるだけで大満足、それが僕にとってのブータンである。




観光地はどこも大変素晴らしかった一方、ひとつ問題があった。

というのも、どこを見ている間も、ガイドは僕を置いてどんどん先に歩いて行ってしまうのである。

僕は元々歩くのが大変速い方なので、別に速く歩かれることは問題なく、むしろ助かるのだ。しかし、せっかく旅行に来たからにはじっくり観察したり写真を撮ったりしたい。だがガイドは決して待っていてはくれず、言いたいことがあるときだけ止まって待っており、僕が追いついて言いたいことを言ったらまた足早に去ってしまう、そのようなスタイルを保ちたいようであった。まるでゲームの主人公に時折助言しては去っていく影の導き役じゃないか。時のオカリナのケポラケボラじゃないんだから。

時にはちょっと写真を撮っている間にガイドが見えないところまで行ってしまい、こちらからは見つけられず、まるで置き去りのような状況になってしまったことも幾度もあった。


置き去りにされ、やることがなくなって撮った写真がこちら(笑)

まあ、正直予想していなかったスタイルではあるが、ガイドにはガイドなりのやり方というのがあるのだろう。ひょっとしたら、日本とブータンでガイドのイメージも異なるかも知れないじゃないか。捉え方を変えれば、ガイド必須とされている国で自由気ままに歩いたりできるのだから悪くないかも知れない、そう思ってしばらくは旅を続けていたのだった。置き去りスタイルのガイド、なかなか出会おうとしても出会えなそうなものである。

なんだか不満を語るようになってしまったので、閑話休題。ブータンを一人(正確にはガイドつき)で旅行するのはどんなものだったか、簡単にまとめておきたい。

結論から言えば、大変快適であった。

そもそも一人旅は周囲に気を使わないことが大きなメリットとして挙げられることが多いが、ブータン旅行にももちろん当てはまった。ガイドは(置き去りにはするものの)こちらの要望をきちんと口に出して伝えれば、わがままを言わない限り聞いてくれることがほとんどである。

具体的には、ドライブ中に気分が悪くなってしまったときにはその旨伝えればすぐに休憩を取ってもらえるし(実話。ぐねぐねの山道を走っている最中にスマホを見るという愚行を犯した僕の責任)、旅程表にないところに行きたいとふと思った場合、可能であれば行ってくれる可能性もあるだろう(もちろん、ガイドやドライバーに負担がかからない程度にはなるだろうが)。

僕は車窓からふと見えた市場を見てみたかったので、ガイドと阿○寛に伝えたところ少し見て回ることが出来た。なんで市場なんか見たいの?と聞かれたが、僕は地元の人の生活を感じられる場所が好きなのだ。

そもそも、時たま現地の人が予想し得ないものを見たいと言い出すのが外国人観光客である。これは日本を訪れる外国人観光客にも当てはまる。あの忌々しい通勤ラッシュの満員電車にわざわざ乗りに来る人もいるそうである。正直日本人の感覚で理解するのは難しいと思うし、ただでさえ混んでいるのにいたずらに乗客数を増やさないで頂きたいと思うところではあるが、人それぞれ楽しみのツボがあるのだ。ガイドと阿○寛は不思議そうにしていたが、僕は大変満足であった。柔軟な対応を許してくれた二人に感謝である。

てなわけで、置き去り型ガイドに従いつつ旅行を続けてきたわけであるが、今回の旅のメインとも言える「タクツァン僧院」の観光が迫ってきていた。

タクツァン僧院は、標高約3000mの断崖絶壁に位置する僧院で、チベット仏教の聖地と言われているそうだ。まさか標高3000mでも置き去りにされるのだろうかと、一抹の不安を抱えていたのは言うまでもなかった。もし置き去りにされたらもうそこで出家するしかないのではと思ったが、それはそれで面白い人生になることだろうと思い、余計なことは考えないようにした。

③タクツァン僧院へ


タクツァン僧院観光の日がやってきた。3000m地点まで無事に登れるのか、登れたところでちゃんと下に降りて来られるのか、出家するしかないのか。全てが未知数の体験の幕開けである。

そんな心配をよそに、往路はとてもスムーズだった。というのも、ガイドは相変わらずかなり速いスピードで山を登って行ったのだが、僕は歩くのがとても速いのに加えて足が頑丈なので、ガイドのペースが非常に合っていたのである。

もちろん写真は撮ったが、写真を撮ろうと思えるような景色は限られていた(基本は断崖絶壁なので)こともあり、写真を撮る間に置いていかれること自体が起こらなかった。むしろガイドが率先して撮影スポットを案内してくれた上で、記念写真を撮ってくれたくらいである。

余談だが、ガイド曰く、僕は過去の旅行者のなかでもかなり速く山を登った部類に入るらしい。ガイドが知る限りは歴代で二番目に速かったそうだ。一番は誰だったかと聞くと、イギリス人で、その人はそもそも歩いて登るつもりはなく、終始走っていたとのことである。はるばるイギリスからブータンに来てマラソンをするとは。しかもブータン観光のハイライトとも言われる場所で走るなんて、なかなかの人物ではないか。せっかくならゆっくり登って楽しめば良いのにと思ってしまったが、それはそれで一つの楽しみ方なのだろう。ガイドからしたら大変だったと思うが。

話を戻そう。僕が普通に歩いている割にはだいぶ速く登ったことで、ガイドとしてもやりやすかっただろうと思われる。ブータン人は昔からよくタクツァン僧院まで何度も登ってきており、慣れっこなので速く登れるそうだ。途中ではぐれてどうしようもなくなる、なんてことにならなくてよかった。ペースが合ったお陰でガイドと色々と話が弾み、思ったより良い人であることが分かったのもこのときである。

ちなみに道中ではそれなりに他の観光客もいたが、やはり皆大変そうにしていた。追い抜く僕とガイドに対して「あと何分登れば頂上なんだ!」と半ばキレ気味に聞いてくる人が二人もいたが、僕は初めて登る観光客なんだからそんなの知ったこっちゃない。ガイドが親切にも推定残り時間を答えてあげていた。なんなら復路でもすれ違いの観光客に同じことを聞かれた。僕は往路でかなりの人数を追い抜いていたので、一般的には負担のかかるコースなのだと思われる。

というわけで、僕とガイドは予定より大幅に早くタクツァン僧院に到着した。体力もほぼ消耗していなかったので、降りられないということはない。出家の選択肢はここで無くなったのであった。第一関門クリアである。


タクツァン僧院。言葉通り本当に断崖絶壁である。
僧院内部は撮影禁止であった。



道中にはカラフルな旗が飾られていて綺麗だった。



ガイドに言われるがままにポーズを撮った結果がこちら。僧院を手に乗せたような不思議な写真が撮れると言われたが、これじゃただ単に手を伸ばしている人である。

さて、無事に登ってみたはいいが、その後どうなるのか。前編はここまでにさせていただき、後半に続く。

後半はこちら↓


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