心が壊れたら

昨日、大学時代のゼミの先輩、同期、後輩たちと久々に会う機会があって、こんな世の中なので大規模とまではいかないものの、卒業ぶりとかに会うレベルの人もいたのでなんだか楽しかった。二十代も半ばにさしかかって、話す内容は仕事のこととか、色恋沙汰、といってももう誰々が結婚するとかそういう話で、結婚しないまでも真剣に将来を見据え始めているようなそんな人も増えてきたように感じる。そこから考えればまだ自分はひよっこで、目先の毎日を過ごすので精一杯、というかまだもう少しだけ遊ばせて欲しいというのが本音だったりする。

仕事の話について思ったことがある。同じゼミだったとはいえほぼ全員違う職種で働いている。自分は教育に携わっているのである種正統派なのだが、ゼミで培った教育マインドをそれぞれの分野で発揮しているのだと思う。自分は非常勤という気軽で身軽な立場だから他の人の話を聞いていると「いや働きすぎじゃない?」とか「いや、それはブラックだろ」とかすぐに思ってしまう。「そんな辛いならやめたらいいのに」って毎回心の中で思っている。中でもある一人の話を聞いていてすごくそのことを思った。

その人は学生時代からものすごく熱心に前向きに物事に取り組んでいた。よくいえばまっすぐで真面目なのだが、裏を返すと愚直というか、いらない苦労も自分の成長のため、ということにして買って出て、それだけ自分が苦しんでいる、みたいなうまくいえないが難儀な生き方をしているように自分には思えてならなかった。昔もそうだったし、昨日聞いた話もそうだった。自分ならそんな仕事多分3日でやめる。そんな環境でも「成長」のためにやっているらしかった。一言で言えば「不器用」だとも思う。

一方で自分はこの人に「脆さ」を感じていた。みんなの前では明るく振舞っているけれど、その裏では考えられないような負荷を負っていてどこかのタイミングでそれが爆発してしまうんじゃないか、ガラス細工みたいに少しの衝撃で粉々に砕けてしまうんじゃないかとずーっと思っている。この負荷をどこかで発散できればいいが、器用じゃないから抱え込み続けているんだと思う。心はもう壊れているのに、そのまま動き続けている。正直それは見ていて辛い。

この手のタイプの人が難儀だと思うのは、何か悪いことがあった時に、その原因を自分に求めてしまう。自分が至らないから不甲斐ないから悪いんだと本気で思っている。自分はどんなことも半々くらい、自分も悪いし、環境も悪い。そんな心持ちでやっているので過度に自分の失敗を責めるようなことは自分にも他人にもないが、100:0で自分が悪いと思い込んでいる人は世の中にはいる、というか見てきた。0:100で環境のせいにする人はそれはそれで厄介だが、自分を苦しめ続けるようなスタンスで生き続けるのはなんだか息苦しいし、生きづらいんじゃないかと思う。

この物事の考え方でギャップを感じる機会が増えた。昨今人口に膾炙している言葉で「自己肯定感」というものがあると思う。おそらくこの「自己肯定感」が高い人間はそこまで自分を責めたり気に病むことも多くないと思う。多分自分がそうなのだが、そうでない人はそうもいかない。ここのギャップを感じることが増えた。そうである人がそうでない人に声をかけると「お前はいいよな」っていう捉えられ方をする。そんなつもりで言っていないのに婉曲して、悪い風に捉えられてしまう。そんな自分が声をかけるのはなんだか出来ないことを「簡単だよ!」って言っているような気がしていて…自分がその人の助けになってやりたいけれど、自分がいうべきじゃないというジレンマに苛まれている。

つまり自分にできることは「うんうん、そうだよね」ってわかってやることくらいしかないんじゃないか、っていう。悲しい哉、大学を出てから「社会」なるもの、「社会人」なるものになって以降、心が壊れていく人が増えた。大学生の時はあんなに生き生きしていたのに、忙しさからか、心をどんどん失くしていく人をたくさんみた。大学生の時からその傾向はあったかもしれないけど、本当に心を壊して、病んでいく人は少なくない。

あなた今幸せ?

心が壊れたら、多分元には戻らない。形が変容してしまう。心を壊すくらいなら働くのをやめて好きなことでもやったらいいと自分は本気で思っている。そうもいかない状況に置かれている人がいるのも承知でいう。食べもんを食べて美味しいと感じなくなったり、自然を、絵画を、彫刻を見て美しいと思えなくなったら「人間」として終わりだとも思う。そうなる前に。

「働く」ってプロテスタント的に考えれば「罪」を贖うためにする訳で、でも働くことそれ自体で不幸になっていくんならそれはもう「罰」じゃない?不幸になるために働くなんていうのはなんだか現代の不健康さが凝縮されている気がした。

あ、そんな自分は今日から1ヶ月夏休みになるので、なにしよっかなーって感じ。結局時間をとるかお金をとるかの天秤なのかなぁ。自分には時間をまだ大事にしたい。

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