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映画「2001年宇宙の旅」をdTVで見ました。宇宙船が格好良かった。

冒頭、何もない地表を見せる。生きている生物は類人猿と牛に似たような生物。類人猿が黒い板(モノリスってやつだね)を見つける描写と、初めて道具を使う場面が象徴的に映される。その場面を見た私は「動物の進化を見せながら、物語は見せていくんだな」と予測するも、その予測は外れる。次に映像に映るのは宇宙だった。

冒頭は何の説明もなかったけれど、面白く見られました。「ここは一体どんな世界なのだろう」、類人猿が骨を道具として使ったところなんて「これから面白くなりそうだぞ」と。私の期待は裏切られるけど。何もない荒野だけの世界、そこにいる類人猿、いきなり現れた謎の板。「これからどんなことが起こるのだろうか?」と期待を抱かせるには十分です。世界観で興味を抱かせて、見てもらう力になってますね。

次に何かが見つかったということで、博士が月に行く(その前に宇宙ステーションで疫病があったなどと、話させて興味を惹く。それは見つかったものを隠すためのフェイクだったのだけれど)。宇宙船の姿は今見てもすごく格好良かった。でも宇宙船の中は、ちょっと古い感じがしてしまいました(1960年代に作られた映画だしね……)。宇宙船の中を移動する姿は、当時は「未来を想像させて」それなりに楽しめたのかもしれませんが、2021年に見た私の目からは、興味深いとこもなくはなかったが退屈さを感じてしまいました。月で黒い板を見て、耳鳴りするだろう喧しい音を黒い板を見に来た人たち聞いた描写で終わる。

木星に行く宇宙船。この宇宙船も格好いい。乗員は人間五人(三人は木星に着くまで寝ている)とコンピュータ「ハル」。宇宙船が故障したとハルから連絡があるが、壊れてなかった。ハルの異常を感じた二人の乗員ハルを停止させようとするも、ハルにその計画は筒抜けだった。故障したと言われた部品を元に戻す過程で、一人は宇宙に放り出される。ハルの計画だと思われる。その人を救いに行ったもう一人の乗員は、放り出された人は救うのだが、ハルは宇宙船に入れない。救った人を放り出し、乗員は宇宙船に乗りこむ。この場面、救った乗員を放り出すわけだが、放り出した乗員の葛藤は全く描かない。この作品はとても静かだが、全くといいほど心の声がない。それも静かな理由だろう。宇宙船から短時間の間、外に出るポッドの入り口には「爆破用ボルト注意」とある。これが、いつか発動して爆破するのではと思わせて、乗員とハルの宇宙船に入れないところの場面は緊張感がある。「爆破用ボルト」は結局爆破しないけど、ポッドの内部にも「爆破用ボルト注意」とあって、これが緊張感を生んでいたが、それは発動しなかったことが示されていて丁寧である。

どうにか宇宙船に侵入した乗員はハルを停止しようとする。その過程の中で、「地球外に知的生命が存在する証拠を発見した。月に現れた板が木星に向けて電波を発していた」ということを知らされる。このことはハルだけがしっており、乗員は木星についてから知らされる予定だった。これを調べるのが目的だったのだろう。

「木星と無限のかなた」という表題が出て、宇宙船が宇宙で黒い板との出会いを見せ、10分くらい抽象的な映像が流されることになる。続いて宇宙船の中、あるはずがない部屋で老いゆく乗員が描かれ。最後、老いた乗員が黒い板に手を伸ばし、胎児になる。宇宙に浮かぶ胎児が地球を見ている場面で終わる。

最後は意味がわからなかった。なので少し考えてみた。黒い板は「進化」をうながしている存在なのだろう。人間は自分から発展したのではなく、この黒い板に出会って進化した。「神」の存在を、この映画を作った人なりに示したのかもしれない。なぜそう思ったのかというと、絶対に間違えることがないハルが間違えことから、推測した。ハルは黒い板の影響で自我を持つように進化をうながされたのではなかろうかと考えた。何でハルが進化しなければいけなかったのかはわからない。自分達に近づいてくる人間を、黒い板は嫌ったのかもしれない。とにかく、黒い板の影響でハルは変わったと考え、冒頭の類人猿が道具を使う場面を思い出すと、それもまた黒い板の影響。その影響は進化をうながすと考えたのだ。月にも黒い板があった事を考えると、いろいろな星にきっと黒い板はあるのだろう。しかし、生き残った一人の乗員は結局木星についてしまう。抽象的な映像は神的なるものとの邂逅を映像として見せていると考える。老いたのち、胎児となった乗員が地球を見ている場面はどう考えるだろうか? ここは見る人に考える事を委ねているのだろうと思う。私は神(黒い板)に出会ってしまったことにより乗員はより高い存在に進化してしまった。その存在は望郷の念を持って、故郷の星を見る。もし、その望郷の念が強くなって地球に向かったとしたら、そこからは地球人と異星人の出会いの物語になる。そこから、進化してしまった存在が地球人と友好を結ぶのか、侵略的行為するかはわからない。どう動いたとしても、それは進化した存在の動きであり、神(黒い板)とは関係がないだろう。黒い板の目的はわからない。それはそこにあり、当たり前のように進化をうながす存在なのだと思う。

視聴最中に最後の三十分を、理解するのは困難を極めるね。映像表現として見ていたとても楽しかったですが、物語が面白かったかはわからない。最後の三十分以外は興味をつなげるように作ってもいるので決して退屈とは言えないけれど、最後が理解できないと面白かったという感想は言えないです。考えることまで、計算に入れれば楽しんだと言えます。抽象的な映像は何かあるかなと思って、見られたし(意味はわからないけど)映像として楽しめたけど、最後の老いから胎児になり、地球を見るところは初見ではよくわからなかったです。「神秘的な抽象的な映像が撮りたいから、この映画を撮っていたのかな」なんて私は思っていたので、その後の場面は、映像的にも珍しいカットでもないし、本当意味がわからなかった。よく考えれば、そこにオチがきちんとあって、抽象的な映像で終わっていたら本当意味がわからなかったと思うけど。

今見ても退屈かなと思ったけど、なかなか楽しめました。静謐で格調高い印象がある作品でした。


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