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映画「ザ・フラッシュ」を見てきた。時間遡行ものとしては珍しい展開。

映画「ザ・フラッシュ」を見てきました。私は洋画は字幕で見ることが多いのですが、時間的に吹き替えしかなかったので、吹き替えて見ました。
面白かったです。それもありますが、オチがカタルシスがある、ハッピーエンドという展開でなく驚きました(別にバッドエンドってわけではないですが)。「こんな終わり方」もありなんだと思いました。娯楽作品として見た場合「面白かった」と手放しで感想が言える作品でなく、色々考えさせられるところがありますね。
面白いですがラストにカタルシスを感じさせない、ヒーローものの作品としては珍しい終わり方です。これはこれで悪くはないですし「考えさせる作品としてはいいのではないかな」と思いました。
時効遡行ものとしては、歴史を変えるほどの大きな幸福をもたらして終わらず、それいてほんのちょっとだけ(「これなら歴史は変わらないだろう」と思えるくらいだ小さい)幸福をもたらして終わるという、中途半端さはありますがあまりない終わり方です。

主人公は「フラッシュ」というアメコミヒーローになりますが、バットマンも出てきますし、少しだけワンダーウーマンも出てきます(戦わないけれどアクアマンも)。
フラッシュの設定はあまりよく分かってなかったですが、お腹空くと力がなくなっちゃうんですね。その設定も含めて、冒頭の活躍でフラッシュになる人(バリー)の性格がよくわかって、そして動きもたくさんあって良いですね。始まり方がすごく良い(コメディタッチで笑いもあるし)。

物語は歴史改変を主題とした物語です。バリーの父は妻を殺したと疑われ、捕まっている(十数年)。その無実を晴らすため、バリーは警察の科学捜査する所に就職したようです(曖昧ですみません)。
フラッシュは高速で動くことができる能力を持っています。その能力を最高潮に使ったとき、時間を遡れる力が発現するようです。
その力は濫用してはいけない(使ってはいけないに近いですね)とバットマンに忠告を受けていたはずなのに、ほんの少しだけなら(それで母が殺されない)いいだろうと行動したことにより、問題が発生してしまいます。
改変された時間軸の中で、その時間軸にいるバリーとともに、自分(時間遡行したバリー)が元に戻る方法を探します(母がいない時間軸のバリーは能力を失うので、それを取り戻そうともします)。その方法を探すために元いた世界のヒーローたち(バットマンやスーパーマン)を探すという展開は上手いですね。目的もはっきりしているし、何より見ている人に説得力がある。
バリーとバリーのやりとりも面白いです。元の時間軸では弟分という感じのバリーですが、両親がいた時間軸で育ったバリーはすごく陽気で、調子乗りです。その関係性の中では、バリーは兄貴分として振る舞う必要があり、人外の立ち居振る舞いは関係性の中で生まれることがわかりますね。
しかし、バットマンは元いた世界と違ってもう引退している。そして、スーパーマンはいない。その代わりに、同じ惑星出身の少女(スーパーガール)がいます。
バットマンを見つけてからは、スーパーマンを探すことになり(スーパーマンはいない)、スーパーガールに出会うという展開になります。
バットマンとスーパーガールとともに、元はスーパーマンの敵だったものたちと戦うことになります。これが物語としてはカタルシスを与える戦闘になると思いきや、その結果は不幸な結果(バットマン、スーパーガールは死ぬ)にしかなりません。二人のフラッシュは時効遡行を行いますが、経過は違くても結果は変わりません。普通の娯楽作品であったら、バットマン、スーパーガールを生かす展開になりそうでけどね。まあ、それだと普通ですが。

時間遡行の世界の中で、二人のフラッシュは対立します。何度も歴史を変えようとする母が生きていた時間軸のバリーと、時間軸は変わらないと納得してしまった母が死んだ時間軸のバリー。ここら辺のやりとりは正直よくわからなかったのですが、時間遡行の世界に現れる敵っぽい存在が母が死ななかった時間軸のバリーであり、そのバリーの攻撃を今の母の死ななかった時間軸のバリーが、もう一人のバリーを守る形で受け、死ぬことによって、敵っぽい存在であるバリーも消滅していきます。
それと同時にあらゆる可能性の世界(俳優の違うスーパーマンがいる世界とか)が消滅していきます。

その後、バリーは時間を遡り母を助けるための行為を無かったことにします。時間軸は一つに収斂していき、元の時間軸に戻ったバリーの世界にはやはり母はいません。ただ時間遡行する前は、父の無罪を果たすためのビデオ動画には父とわかる(顔が映ってない)証拠はなかったのですが、その動画が証拠となる展開となってました。
時間改変によってちょっとした変化が起こりましたね。
娯楽作品の物語としてはこの展開は正しいと思います。「それなら母が死ななかった世界と同じでは」と思わなくはないですが。
この展開は娯楽作品としては致し方ないと考えて、大切なのはバリーは時間軸を変えて幸せになることを「諦めた」という展開です。運命は変わらないと納得して、それでも未来を生きて行こうという姿勢を物語の中で示したことです。
娯楽作品は視聴者の「こうあってほしい」「もしかしたら、あの時ああしていれば人生は変わったかもしれない」と思わせる幻想を壊していることです。別に運命が決まっていると言いたいのではなく、自分の意思であったり、強制的に強いられる運命(この物語では母の死)もあるでしょう、その経過の結果としての、今いるこの私は変わらない、それでもそれを受け入れて生きていく選択をしたバリーに対して感動を覚えます。

受け入れたくない人生はあります。本当に受け入れなくない、どうしようもない運命。どこまでもどこまでも逃れられず、襲ってくる過去。過去が故に、暗い未来しか見えないこともあるでしょう。現実逃避できる映画こそがそんな人たちには大切で、この映画は最後に夢を壊します。物語の中では、少しだけハッピーエンドなところに腹立たしく思うこともあるでしょう。それでも、過去を受け入れて立ち上がり未来を見ようと思える人もいるのではないでしょうか。決して、そのようなことを説教くさく言っているわけではなく、それは見た人がどう感じるかの問題です。
「運命を受け入れろ」という身も蓋もないオチなので、珍しい終わり方だな、と思いました(まあ、それでも主人公は父が無罪になったり、どうやらガールフレンドもできたようでハッピーエンドな要素もありますが、娯楽作品としてはただ「運命を受け入れろ」で終わらせるわけにはいかなかったのでしょう)。

戦いの最後にカタルシスはないですが、戦闘場面はよく動いていてとても面白かったです。

母が生きている時間軸のバリーは膝を撃ち抜かれたように見えましたが、物語が進むと治ってました。フラッシュって回復力をすごいんですかね?
そこらへん謎。

あとある施設に不法侵入(フラッシュになるために侵入した施設)し脱出できないという展開になるんですが、「どうやって脱出する」とその方法を楽しみに物語を見ていたのですが、場面変わって脱出の経過を見せず、脱出していました。「ご都合主義だな」とそこは思いました。

テーマは「運命は変えられるのか」でしょうかね? 一週間前に見た「スパイダーバース」の二作目もそんな展開でしたね。ヒーローものとしては、よくあるテーマなんですかね。マルチバースとか、時間遡行とか運命が変えられる機会が与えられる設定だと、そうならざる得ないのかもしれませんね。
バリーとバリーの関係性の中で、関係性の中で立ち居振る舞いが変わるというのも、この映画のテーマではないのでしょうが、テーマとなり得る要素ですね。
これはテーマとかではないのですが、映画「マン・オブ・スティール」ではきちんと描かれていたヴィランたちが、この映画ではほぼキャラクター性がない「バットマンやスーパーガール」をしに追いやり、バリーに運命を受け入れさせる要素でしかないですね(ヴィランたちが何をするために地球を襲っているのか、説明はあったけれどあまりよくわからなかった)。その存在を倒すことが主人公のバリーの成長や変化に関係ないので、ヴィランにキャラクター性がなくても気になりませんでしたね。こういう物語上でどう人物たちに強弱付けるかという点は参考になりました。

娯楽作品としてはカタルシスは感じませんでしたが、良い作品でした。面白かったです!


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