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カンボジア日記第2号

スオスダイ!

 本日はトゥール・スレン(虐殺犯罪博物館)とキリング・フィールドを同期隊員の方々と訪れました。

以前、カンボジアでは急進的に共産主義を推し進めたカンプチア共産党中央委員会書記長のポル・ポト率いるクメール・ルージュが引き起こした組織的迫害かつ虐殺が行われました。

1975年から1979年の間に150万から200万人が犠牲となり、これはカンボジアの1975年当時の人口(約780万人)の約4分の1に相当します。このようなことがなぜ起こってしまったのかカンボジアで生活、そして活動させていただく中で歴史を知ることは重要と考え、訪問させていただきました。

 トゥール・スレンは稼働中は名称がなかったため、現在は地名を取ってトゥール・スレンと呼ばれています。ここはもともと小学校でしたがポル・ポトが革命に教育は必要ないと謳ったため、反革命分子を尋問し虐待する施設として使用されました。反革命分子とは、知識人、伝統文化継承者、教師、宗教関係者やその家族、また、教育を受けた、受けている子供たちも含まれます。反乱の火種になる可能性があるため、虐殺された親族も殺害されたそうです。

トゥール・スレン入り口です。
収容部屋
虐殺された様子の写真


もともと学校だったのでバレーコートが処刑場になっていました。
有刺鉄線が張り巡らされています
収容部屋
収容部屋


トゥール・スレンで虐殺された人々はトゥール・スレン小学校跡に埋められましたが、じきにそこも満杯になったのと、処刑時の叫び声が響く事から、1977年には処刑・埋葬場がプノンペンの南西15kmのチュンエク村に移されました。のちにここが「キリング・フィールド」と呼ばれることになります。

 キリング・フィールドはポル・ポト政権下のカンボジアで、大量虐殺が行われた刑場跡の俗称です。

キリング・フィールド入り口
この塔に遺骨が納められています。
ここに多くの死体が埋められていました。
この木に幼児の頭を打ちつけて虐殺していた。

この時代カンボジアにはお金がなかったので銃を虐殺で使えなかったそうです。そのため、農具である鎌や鍬などで対象者を殴ったり、切り付けて虐殺していたそうです。

カンボジアは外交に力を入れ、急速な発展を遂げている国ではありますが、このような過去もあり、教育の質の向上には至っていません。

縁あって関わらさせていただくこの国に自分自身どんな貢献をさせていただくことができるのか。

今回この施設に訪問させていただき、カンボジアの未来のために自分のできることを改めて考えるきっかけをいただきました。子どもたちに関わるものとして運動やスポーツの良さ、楽しさを伝え、生活や人生を豊かにしていってもらいたい。

また、できれば楽しいだけでなく、真剣に取り組むことで見えてくる本当の楽しさを伝えていきたい、など自分が取り組むべき課題や目標が明確になりました。

国や文化、その人々の背景を知ることは改めて大切なことだと痛感させていただきました。ありがとうございました。

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