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僕の心は、ヒビだらけ

この間はいいこと書いたから、今度は自分の嫌なところでもいかが?

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1年ぶりの大学は、広くて、寒かった

大学に戻った

休学を終えて、大学に戻った
4/1から、教育実習のオリエンテーションだった
4年生になるときに休学したので、同期はみんなもう卒業してる
周りは知らない人だらけ

春休み明けだからかな、みんな雑談に花を咲かせている
「バイト最近何してるのー?」
「就活?院進?」
僕はといえば、耳から入ってくるその言葉がすごく胸に突き刺さって
椅子でわなわな震えていたんだ

そのうち、講座が始まった
「主体的・対話的で深い学び」だってさ
この人たちは、言われても分からないだろうな
僕は去年1年間体験してきたからさ、分かるよ


無意識のうちに、強がってた


ここ最近は、なかった感覚

心にヒビが入ったとき

多分それは、高校のとき
誰かのいう正解になれなくて、自分のことを傷つけていたとき
「なんでこんなに頑張れないんだろう」
「こんなこともできない自分に価値なんてない」
「もっとマシになりたい」なんて、言葉ばっか出てきてた

自然を見ても感動できなくなった、すぐ飽きちゃう
美味しいもの食べても幸せは続かない、すぐに悲しくなる
目の前の人にちゃんと感謝することもできなくなった
「そんなことより、頑張らなきゃ!」って

と同時に、「自分は将来生きていけないんじゃないか」って不安に襲われた
どうも、自分が大人になった時は、「創造力」が大切らしいぞ?
でも僕美術2だし、何かを作り出すの苦手だし
マイプロは思いつかなかったし、結局できなかったし
心が追いつかない

最近、学生起業家スクールの説明会に参加してみた。

すごく面白くて魅力的だと思った。講師の方も他の参加者も目をきらきらさせていて、この場所にいたのなら絶対に成長できるはずだと確信した。

でも、なんだかとても苦しくなった。

頭では絶対にいいチャンスだとわかっているのに、どうしても心が追いついてくれなかった。

どうして私の心は追いついてきてくれないんだろう。

どうして私の身体はこんなに弱いんだろう。

まだまだ足りない、知識も能力も経験も。だから頑張って、社会に皆に追いつきたいのに、いつまでたっても皆になれない。

すごい人達や憧れのようなあの人達みたいになりたい、あの人達と同じ世界を見たいのに、

いつまでも私は、オリジナリティのない私のまま。

(僕の大好きな、一緒に泣きあった子との会話から)

現状に満足なんてしちゃいけなかった
そこで止まったら、みんなに追いつけないから
できない自分に、そんな権利なんてないと思ってたから

でも心がやられてるから、身体が動けない
毎朝ベッドから起き上がれない
「なんで頑張れないんだろう」って自分のこと傷つけて

自分しか見えていない状態
常に頑張らなきゃ、頑張らなきゃって
もちろん、それで得られたものもあったけど

「本当の自分」だけを
ずっと探していた
何が「本当」かわからないまま

いま以上これ以上
期待しすぎるから
いつも自分に裏切られて
(「少年」/福山雅治)

ヒビある生活の中で

今ある自分に満足できなくて
与えてもらっているものだけじゃ不十分で
常に「もっと、もっと」って他人に求めている状態
それは、自分の自信のなさの裏返しなんだけど

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(「鬼滅の刃」17巻/吾峠呼世晴)

褒められてもね、満足できないんだ
自分でダメなところわかってるから
「もっとこうしなきゃ」「もっとこうしなきゃ」って
何をしても、ダメなところばっかり目についてしまう

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(「ブルーピリオド」11巻/山口つばさ)


結局、何と戦ってるかなんてわからないままで
空想の敵を作って、自分一人でもがいてる

益田での日々

益田でも、最初はきっとそうだったんだと思う
常にピリピリしてて、うまくいかないことに腹立てて
他の人ができてないってことを受け入れられなくて、自分のこと以上に責めてしまって
弱音なんて吐かなかったし
自分の弱い感情なんて出さなかった...少なくとも仕事中は

でもちゃんと「不安」だし、ちゃんと「怖い」し
それを伝えられたのは、本当に最後だったなぁ...
3月に作ったあの現場が、やっぱり自分の脳裏に焼き付いている

ちょっとはマシになったかな、なんて思ってた

海士に行って

3月に訪れた海士町
楽しかったけど、お金と時間をかけて、何かを得られたのか否か、よくわかんなかった
正直、全然案内してくれないし、どうでもいいって思われてるのかな?なんて思ってた

で、帰った日に送られてきたMessengerがこれ

ところで、思ったように相手にしてもらえず、やきもきさせてしまったかもしれないね。実は隠岐牛店でランチしたときに、たけちゃんの中にある種の生きづらさを感じました。なんというか、いつも何かに不安や不満がありそうだったんだよね。

大切な感情だからそのものは否定しなくていいんだけど、でも、すでに色んなものをもらってきただろうに、それを受ける器にヒビがはいり、漏れちゃっているのを感じたとき、もっと、もっと、とほしがるよりも、もらったものを感じるたけちゃんになってほしいとぼくは思い、あえて距離をとることにしました。

島にはその空気が流れているので、たけちゃんの中に少しでも感じる余白がうまれ、入っていくのを願いながら。

なんでバレてるんだよ〜、その通りだよ...と思いつつ
ここでやっと、気づいたことがあって
それは
「もう自分は十分に受け取ってる」ってこと
「与えてもらえるのは当たり前じゃない」ってこと
「もらったものにちゃんと感謝しないといけない」ってこと

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(もちろん、自然にもね)

まだヒビは入ったままだけど

周りへの劣等感から、感情もかなぐり捨てて
一部の感性をも失って
自分の成長と、自分が生きていけないんじゃないかという不安と闘っている

ただただ怖いし、すごく不安
人より、自分が優れていることに自分が確信を持てないと
自分が、将来幸せに生きていることを想像できないと


そんなこと、なんの意味もないのに


凍ってしまった自分の感情を動かしたい
与えていただいたものに感謝できる自分になりたい

今はただ、そう思ってます
日によるけど
そう思う日が、徐々に増えて行けたらいいな、と思っています

ひとまず、企業のエントリーシートには(就職じゃないけど)
自分の弱みに「見栄っ張り」と書きました



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