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ビッグな「らぶ」をたくさんもらって

大学を休学し益田に来てから1年が経ちました
先日、ユタラボメンバーに盛大に送り出してもらい、インターン生活に一区切りを付けることとなりました
一言で言えば、「すごく寂しい」
まだ帰りたくなかった、そんな気持ちでいっぱいです

4月からは、大学に復学します
4年生なので、来年の春には卒業です...涙
このnoteは、そんな僕の1年間の想い
もしよかったら、僕という人間が何を考え、どう感じていたのか、のぞいていってください

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素敵なユタラボメンバーと

益田でどんなことしたの?

簡単に時系列順に振り返ります

4月
益田に行った。出会って1週間でインターンで2コマの授業作った。企画は成功したけど、チームビルディングははちゃめちゃだった(主に僕のせい)
あとはちょこちょこお仕事しながら、1人暮らしの準備をしてた

5月
また2コマ×3の授業してた。コロナもあって、事業が一時停止。
6月以降に向けた種まきしてた

6月
「ミライツクルプログラム」の準備「課題探究」が本格的にスタート
10近いプログラムを統括するの難しかった
田植えした。楽しかった。多分。

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7月
「ミライツクルプログラム」本番とそれに向けた広報に苦戦する
3つくらい事業(キャリアサポート・課題探究・ミラツク...)が重なり、キャパオーバーに
初めて「益田版 カタリ場」みる
4連休にしっかり休んで復活。休むことの大切さを知る

8月
夏のミラツクのまとめ作業
コロナウイルスの第五波と重なり、帰省がキャンセルとなってテンション下がる
Iターンの人にとっての「帰省」の現状を目の当たりにする
後半から、全く新しい、ライフキャリアを考える2コマの授業を作り始める
これに大苦戦する。100人以上を相手に10人でどうすればいいんだ...

9月
課題探究が2コマ×3クラス×2週+放課後となり、キャパが厳しくなってくる
ライフキャリアの授業やる。正味、ボロボロだった
秋のミライツクルプログラムの準備する
オンライン教育ツアーをする。行政の論理を知る。あと、ビデオキャプチャの存在も知る
カタリ場のキャストをする。一定の成果と、これでいいのか?というモヤモヤと

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10月
相変わらずミラツクと課題探究
あとちょっとキャリアサポートで公民館に向かう高校生のサポートをする
カタリ場で2回目のキャスト。前回より手応えあり
益田高校のカタリ場チームに参画することになる
冬のミラツクの準備も始まる。あれ、ずっとミラツクしてね?
あ、あと高校の夜の塾で講師し始める。数学難しすぎて、毎週泣いてました

11月
前半は、冬のミラツクの準備と益田高校のカタリ場に向けた準備
あと、自分の人生を高校生に語る「人生紙芝居」をやらせてもらう
ミラツクの打ち合わせしながらチラシ作って、さらに益高の細かい細かいロジ組んで、さらに人生紙芝居作っているときは頭爆発するかと思った
怒涛の1週間のあと、お暇をもらって(裏で報告書は作ってたけど)、鳥取の大山町に。めっちゃゆっくりした
その裏で、「しまね探究フェスタ」がこっそり始まる

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12月
「しまね探究フェスタ」の準備が本格化
突貫工事でチラシだけ出したミラツクの詰めの打ち合わせも本格化
(なんで僕4つも企画担当してしまったんだろう)

1月
第六波の影響で「しまね探究フェスタ」がオンラインとなってモチベーションめっちゃ下がる、でもたくさん仕事あった
コロナの影響で学校が休校になり、その休校期間に合わせて1日で「ユタラボ大学」という企画を形にする
益田東高校のカタリ場のメインをやらせてもらうことになる
あと、マイプロのオンラインサミットのファシリテーターもやる
すっごく楽しかった

ユタラボ大学

2月
探究フェスタが終わってからは、少し余裕できる
でももう絶対3日連続マイプロのサミットはしない、心がもたない
クエストカップのファシリテーターやったり
小学校カタリ場のサポートをちょっとしたり
そんなこんなしてたら、益田東高のカタリ場がちょっとやばくなり、最後の一週間はだいぶそっちに持ってかれた

3月
益田東高のカタリ場
最初で最後の司会。みんなのサポートもあって、すっごく楽しくやらせてもらいました
報告書を爆速で作り、福岡と海士町に出かける
益田の経験が相対的に捉えられるようになる

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学んだこと①:マイプロって簡単じゃない...

益田で学んだことの1つはこれだな、と
「『衝動』に従って生きてほしい」「好きなことをやって欲しい」って思ってるんですが、そんな簡単なことじゃないんだな、と思いました、改めて、かな
そもそも、「やりたいこと」がわからなかったり
勉強と部活で忙しくて、キャパ的にできなかったり

自分なりに、どうしたらよかったのか考えてみます

○「自己と不可分で一体的な課題」を見つけることのサポートをすること
要するに、「マイ」のタネを見つけること
この4月から施工される「総合的な探究の時間」で言われていること
簡単に言えば、マイプロの「マイ」に当たること
世界も知らない中で、いきなり「好きなことしていいよ」って言われても困る
ってか、自分も困ったし、それで苦しんだし
「自己と不可分で一体的な課題」を元にしなさい、というなら、それ相応の授業なり、取り組みなりが必要だな、と
専門的な用語を使うなら、「越境」に当たること
津和野高校でやっている「ブリコラージュゼミ」などは、その先駆けなんだな、と思います

様々な講師の方による少人数制の授業「ブリコラージュゼミ」を通した学びを体験しました。この授業の目的は、様々なひと・こと・ものとの出会いを通じて、自分の興味関心を知り、自己理解を深めることです。
(津和野高校HPより)

個人的には、「ミラツク」をもっとそうした場にしたかった
1年過ごしたからこそ、諸々の取り組みの有機的なつながりが見えてきたので、それを形にしたかったです

○もっと接触する時間を増やすこと(単純接触効果と安心安全の場づくり)
高校生と触れ合うのが、割と真面目な時間が多かったと思います
授業だったり、発表会だったり
しょこさんに教えてもらった「日常にいる人になる」ということ
これはもっと頑張れたなあと思います
いきなりお堅い話をすんじゃなくて、まずは関係性を作ることから
専門的な言葉を使うなら、「安心・安全の場」「ホーム」を作ること
それができなかったのは、今年の反省点だなぁと思います

そのためにも、もっと「遊び」の企画を考えたかった
ボドゲ大会だとか、人狼だとか、なんでもいいんですけど
そうしたことは、もっとできたよな、と思います
もっと企画すればよかった...うわー、悔しい...

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(ユタラボメンバーでボドゲしたとき)

○もっと待つこと・もっと深ぼること
これは多分僕の伴走の課題
僕自身、「もっとこうしてみたら?」「こんなふうにしたらいいのに」というのが割とすぐ頭によぎってしまい、それがついつい口に出てしまっていることがあります。
そうじゃなくて、安心安全な場を用意した上で、適切な問いを出すこと
「それをすることによって誰が喜ぶ?」「どんな言葉が出てきたらいい?」など
十分にふかぼれきれなくて、困らせたグループもあったので、もっと、こうもっと問うていけるようになりたいな、と

一方で、頭で考えすぎてしまって、現状を掴めず行動できなくなっても本末転倒なので、ここの塩梅の難しさも実感しました


○学校教育と社会教育の役割分担をもっと具現化したい
どうしても学校だとできないこと、限界があります
それを、学校の枠組みではなく、社会の枠組みで引き取る
「取り出し」をもう少ししても良かったのかな、と思いました

学校は、全員にアプローチする場所。全員にタネを蒔く場所
社会は、個人にアプローチする場所。出てきた芽を育てる場所
そんな違いを、もっと具体化することができたんじゃないかな、と思います


○そもそも僕の基準が高すぎる?
これは最近考えていること
僕がいいなぁって思ってるマイプロって、基本的にサミットに出てくるようなもの

自分の街に服屋さんがないから、古着屋さんと協力して何回もイベント開いちゃったり
自分の街の修学旅行プランを作る過程で地域の人の温かさに触れてしまったり
自分の不登校の経験から、HSPについて発信しちゃったり
被災した気仙沼の大人と出会ってその大人を紹介する絵本を作ってしまったり


これは、今年僕がサミットで出会ったマイプロの数々
そのどれもが尊くて、こんな風になったらいいなぁって思っているけど
もっと、身近にも素敵なプロジェクトはたくさんあって
僕の「素敵なマイプロ」に対する基準が高すぎるんじゃないかな、と
ちゃんと、高校生と向き合えていないみたいで嫌だな〜って思ったりもしました


...と、まぁ、色々書きましたが
少なくとも、形になったプロジェクトは本当に良かったです
「思ってたよりも楽しかった」なんて感想が聞けて、伴走してきて良かったな、と思いました

学んだこと②:人は想いで動く

「最初はロジロジしてたけど、最近はエモエモもしてきたね」なんて最後の方によく言われてました
ロジロジとは、合理性のこと
エモエモは、感情のこと
合理性だけじゃなく、感情をしっかり伝えることができるようになったのは、この1年の大きな成長なんじゃないかな、と思います

印象深かったのは、3月の益田東高カタリ場
前日、ユタラボのSlackにこんな文章を送りました

昨日、たかゆうに言われて、カタリ場に向けての想いをちょっとだけ話しました
言葉と同じくらい…いや、それ以上に想い、感情が大切だな、と
どうしても合理的で、言葉に頼ったコミュニケーションをしてしまう自分にとって、すごく考えさせられた無茶振りでした
正直、明日不安です…(涙)
(中略)
あー、明日伝えなきゃいけないこと言い忘れたらどうしよう
声がうわずったら?
場が盛り上がらなかったら?
話を聞いてくれなかったら?
そこに立つ以上、逃げることはできないからこそ、覚悟がいることだと思います
でも、やっぱり、生徒にとっての「きっかけ」を作りたい
「自分のこと考えてみたい」「こんなことしてみたい」って、小さな「衝動」が生まれる場をつくりたい
カタリ場で1から100まで変化するとは思わないけど
その第一歩の右足が出るくらいの変化が生めたらいい
そんな気持ちで今はいます
本当は、こんなこと伝えるべきじゃないかもしれません
僕にファシリテートのフを教えてくれた人には、「不安なことを表現するな」とよく怒られてました笑
でも、ユタラボメンバーには伝えたかった
明日、このメンバーと一緒にカタリ場が作れることがすごく嬉しいし、心強いです
明日は、よろしくお願いします

これを、伝えて、しっかり受け止めてもらえて
当日、緊張を抑えてくれたり
めっちゃアドバイスくれたり
サポートしてくれたり
「あー、こうやって想いを伝えることって大事なんだな」って改めて思いました

学んだこと③:凹凸を愛すること

正直、ユタラボメンバーは本当に個性豊かで、凸凹してると思います
最初は、どんなメンバーなんだろ、認められなきゃなって不安だったり、焦りだったりでこの凸凹が受け入れられなくて
「全部自分で頑張らなきゃ!」だったり
「なんでここまでやってくれないんだろう」だったり
「どうしてこの考えに賛同してもらえないんだろう」だったり
正直、かなり関わりづらいコミュニケーションをしてしまったんじゃないかな、と思っています
僕はその中でも、アイディアを考えることがすごく苦手で
「アイディアを考えられないなんてまだまだ自分は...」なんて思ってたんですよね、心の中では


でも、あるとき、ふと「これは自分の仕事じゃないな」と割り切れた瞬間がありました
「あー、天地がひっくり返っても叶わないな」って思う時間
そこから、「チームでやるってこういうことなのかな?」って少しずつ理解し始めました。
全部一人で抱え込むんじゃなくて
それぞれが得意なことを持ち寄って、力を掛け合わせてく

言葉にすると「そんなん当たり前じゃん」って思うけど
これが案外難しかった

「これは叶わないな」っていうのと同時に
「自分の武器はこれかな?」っていうのも見えてきました
それは、自分の自信にも繋がったし
「凹凸を愛すること」がちょっとずつできるようになったんじゃないかな、と思います、自分のも、他人のものも

自分の得意でないところ、人と関わろうとすること、自分と向き合うこと、そんなことを1年間やり続けたからじゃないかなと思います
(中略)
苦手なところももちろんまだあると思う。でも、そこを無理してよく見せるより、等身大のたけちゃんを受け入れてくれるところと出逢うチャンスも大事にできたらいいのかなと思います
(最後にいただいた手紙より。勝手に使って怒られないかな、でもこういうことかなと思いましまし)

学んだこと④:もちろんスキル面も!

スキル面もたくさん上達しました
イラストデザイン(相変わらず絵は描けないけど)、ロジ、企画・運営、ファシリテーション、音楽、PCスキル etc.
どれもこれも、自分の作りたい「場」を作る上で大切なスキルだと思います
1つの企画、1つの場を0ベースから形にする
そんなことは、もう自信を持ってできるんじゃないかと思います

それから、1人暮らしも...笑
料理に掃除、洗濯と大変なことだらけでしたが、次第に慣れることができました
唐揚げ作れるようになったのは成長しました...
(ごく稀に生焼けもありましたが...)

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おわりに

いっぱい悩んで、笑って、苦しんで、泣いて
その中で自分自身のことを少しずつ言語化して
疲れたらいっぱい寝たり
川で流れたり
星を見に行ったり
ふらふら散歩したり
そんな1年を過ごすことができました

こんな素敵な1年になったのは、ユタラボメンバー初め、関わってくれた皆さんのおかげです
本当にありがとうございました

結局、何が自分の中で変化したかなんて完璧にはわからないけど
今は、自分を包み隠すベールを脱いで、思いっきり心から笑える
益田がそんな場所になったんじゃないかな、と思います
最後の写真撮影が、すごく楽しかったの!
それだけで、良かったんじゃないかな、と

今日、名古屋に戻ってきました
明日からまた大学生に戻ります!
今後とも、竹入をよろしくお願いします

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