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よのなかよもやま寄稿 05:長野県菅平――日本有数の希少な草原に広がる花畑を眺めて 6月編
嘘ではないけど嘘みたいな、『お花畑』
『お花畑』。
なんの冗談か、生物学におけるれっきとした学術用語だ。
これほどハートフルな学術用語を私はこれ以外に知らない。
学生だった私がこの単語を始めて講義で聴いたとき、「この先生は何を大真面目に『お花畑』だなんて言っているのか」と不思議に思った。
だが大真面目に言ったのも当然だ。だって大真面目に正式な言葉だったのだから。
お花畑とは、高原植物が群生して花を開花させている場所のことを指す。
標高の高い地域や高緯度の地域は夏が短く、その暖かい季節の間に植物たちは子孫を残すために一斉に花を咲かせる。
その光景はとても華やかで、天然ものの美しさは見る者を楽しませてくれる。
私は学生の間、何度もその単語を見聞きした。
しかし何度見聞きしても、学生ではなくなってしばらく経った今になっても、私は『お花畑』に微妙な引っ掛かりを覚える。
お堅い学術書にも、難しい論文にも、『お花畑』は当たり前のように書かれている。
雲の上の存在のような多くの素晴らしい学者の方々も、みんな普通に『お花畑』を使っている。
難しい研究題材に向き合って眉間にしわを寄せてながら頭を悩ませている彼らが、幼い子も使っている『お花畑』を真剣な顔で用いているのである。
もしや私をからかうために、実はみんなが団結して冗談で使っているのではないか……そんなありえない疑いを持ってしまうくらいには、『お花畑』は私の中にずっと引っ掛かり続けている魅惑の言葉なのだ。
菅平高原――冬に賑わうゲレンデは夏、人の代わりに花で賑わう
6月、久しぶりに長野県の菅平高原に足を運んだ。
まだ少し時期は早いかとも思ったが、今の時期でどのくらい植物たちの季節――フェノロジー――は進んでいるのか自分の目で確かめてみたくなったのだ。
須坂市の市街地から山へと向かう。山の斜面に張り付くように敷かれた道路はうねり、道は狭いし曲がりもきつい。
車を頑張らせて坂を登れば、ふと目の前に大きなホテルの建物が現れる。
そしてその先には、冬にはゲレンデとなって多くのスキー客が訪れる菅平高原の斜面が見えてくるのだ。
菅平は私にとって思い出の地だ。学生の時分に足しげく通った。
菅平周辺は希少な在来の草原性植物が残るエリアで、種類もとても多く、まさに花の宝庫だ。近くの山の根子岳も花の百名山に指定されていたりする。
あの頃からしばらく経って、いろいろな物事は変化した。住む場所も人との関係も、自分の立場も。
でも心はいまだに学生のまま変わっていないように思える。
そしてそれと同じように、花々はあの時と変わらずここで咲いている。
花たちは別に私を懐かしんではくれない。でも、私だけでも懐かしんで彼らに再び会ってみたくなった。
そして、あの頃をほんの少しだけ追体験してみたくなったのだ。
この訪問は、私のほんの些細な自己満足のためなのである。
人のことは覚えられないのに、花々のことは覚えているものだ
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空は晴れ。風は柔らかく絶好のハイキング日和だ。
カメラを持って、蒼い草原の斜面を久しぶりに踏む。
と、さっそく花が咲いている。ひょろりと伸びた茎の先に咲く黄色い花は、草の緑色の中にはよく目立つ。
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ウマノアシガタ。
キンポウゲ科で、黄色で光沢のある花びらをしている。
なんとなく、この花を見ると自分が草原にいるなと思ってしまう。
と、その横にはピンク色の花が咲いている。
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アズマギク。
キク科で、小柄な花は薄く紫がかったピンク色をしていてなんとも可愛らしい。
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レンゲツツジ。
ツツジ科で、樹の下で咲いていると太陽のような色がよく映える。近づくと香りもふわりと香ってくる。
そしてその近くには、釣り竿のように茎が伸びてそこから葉と白い花を咲かせている。
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アマドコロ。
ユリ科で、似ているものにナルコユリがあるが、こちらの茎は角ばっているのが特徴……だったはず。
こうして花を目の前にすると。結構名前がスルスルと出てきてくれるのがちょっとうれしい。
昔取った杵柄ということだろう。
と得意げになっていたら、その杵柄も古ぼけていたことを認識させられてしまう。
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バラ科だろうが、名前はなんだっただろうか……覚えたはずなのに、思い出せない。
ナントカイチゴ? とかその辺だろうか。
やれやれ、仕方がないとはいえやっぱり忘れてしまってはいるようだ。
冬になるとゲレンデとなる斜面は斜度がきつく、登るにも少し大変だ。
かつて自分がこの坂を何度も上り下りしていたと思うと、この疲れもまた懐かしい。
日当たりのよい斜面には、ワラビがたくさん生えていた。
スキー場のような草刈りのされる日当たりのよい場所には、ワラビが良く生えている印象だ。
一度山菜を意識してしまうと頭が山菜モードに入ってそちらばかりに目が行ってしまう。
頑張って目をそらす。そしてだからこそ、山菜の目になっていた私はこの植物を見つけた。
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オオバギボウシ。
キジカクシ科で、うるいの名前で新芽が山菜として食べられている。
葉は少し苦いので茎を食べることが多いが、茎はクセもなく、少しぬめりがあってこれが美味しい。
私も大好きな山菜の一つだ。
私自身、最初は山菜として覚えていたが、実は花もきれいだ。
残念ながら今回はまだ時期ではなかったが、白に薄く紫がかった色をした釣りがね状の花をしていて美しい。
と、少し高いところになって周囲を見渡すと草原の中に、紫色がポツンと目立っているのが目に入る。
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アヤメ。
アヤメ科で、人の手を加えられることなく鮮やかな紫色と特徴的な形をした花を持っているこの植物は、なんとも自然が持つ才能ぶりに感動してしまう。
実は、この花を見たくて私は菅平を訪れたのだ。
かつて私が訪れたとき……そのときも今くらいの時期だっただろうか……あのとき草原にはアヤメが一面に咲き、草のみずみずしい緑色の上にアヤメの紫色が鮮やかに彩っていた。
天然のお花畑の美しさは、可憐でありながらどこか力強さがある。命をつなぐためという本懐が、その源にあるからだろうか。
人の手で作られた花壇ではこうはいかない。時として過剰に思わせてくる装飾をした花々は、どこか人に媚びているような気さえしてしまうのだ。
もう一度、あの光景が見たい。その思いを抱いてこの地を再訪したが、しかし一面を覆うようなアヤメ畑とは言えない。
どうやらまだ少し時期が早いようだ。
よく見れば、アヤメのつぼみがポツポツと伸び始めているのが見つけられる。
後1週間か、それとも10日くらいか。いずれにしても、あともうしばらくすればもっと咲くだろう。
アヤメに限らず、この地には数多くの植物が花を咲かせる。色も青や黄、赤や白までさまざまで、まさに花による七色の絨毯が草原に生み出される。
これは、また何回か通ってもいいかもしれないな。
季節の流れとともに入れ替わる花々にまた会いに来てみたい。
植物たちの季節は早い。私たち人間のことを待ってはくれない。
でも彼らはいつだってここで咲いていてくれている。きっと10000年前にも咲いていたように、環境が変わらない限りこれからもずっと。
それこそ、私のことを待っていてくれているかのように。
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