【ゆのたび。】26: 長野県 茅野市 蓼科温泉 音無の湯 ~登りし山を仰ぎ見て、湯に音も無く浸かりては~
夏は登山にうってつけのシーズンである。
雪は無くなって危険度は残雪期よりも下がり、高山植物の可憐な花々が咲き乱れて景観は格別となる。天上界を求めて人は、夏になればやたら山へと登りだす。
そしてやはり、山の上は涼しいのも山を登る一つの理由でもあるだろう。
昨今はずいぶんと夏が暑い。酷暑の下界にしばし別れを告げて、涼を求めて山へ行くのもさもありなんである。
だが正直、夏山は涼しいとは言っても結局は暑いのだ。あくまでも下界よりも、という話で、降り注ぐ日光は熱いし、登っている最中は大汗をかいて全身がぐしゃぐしゃになるくらい暑くて死にそうになる。
野営や山小屋を利用しない限り、山の上にいる時間なんてほんのわずかでしかない。
疲労し、汗をかき、長い時間をかけて必死になって登ってきた山の頂で少しばかりの休憩と涼みを得た後、その何倍もの時間をかけて下山をしないといけない。
はたしてそれで、涼を求める場所として山とは適しているのだろうか……おっと、これでは山屋の方々に怒られてしまう。
かくいう私も素人に産毛が生えた程度ではあるが山屋のはしくれ、山に登るとはそういうことではないのだ。
だがもし、涼しさを求めてというのならば、もちろん山の高さなどにもよるだろうが、山に登るにちょうどよい季節とは初夏になるのではないだろうか。
だいたい5,6月くらいの時期。おい、一番涼しさが欲しくなる7,8月に登らないのなら意味ないじゃないかというのなら、すみません、ごめんなさい。
そういうわけで、ということではないが私は、5月の下旬に長野県の蓼科山に登ってきた。
蓼科山は八ヶ岳中信高原国定公園にある標高2531メートルの山で、日本百名山の一つと知られている。
そしてそんな名峰でありながら、7合目までは車で行くことができ、そこから頂上までを約4時間で往復できてしまうという手軽さも人気なところである。
ハイキング感覚でサクッと100座の1を踏み、頂上からの眺望と涼しさを満喫した私は山を下り、疲れた体とかいた汗を流すために温泉へ入ることにした。
やはり温泉だ。山に来たなら温泉に入らねば……無作法というもの。
幸い長野は温泉天国。そこかしこに湯が湧いている。選び放題選り取り見取りだ。
そして私は、ちょうどよい近さの場所にある湯を選んだ。
蓼科温泉 音無の湯である。
蓼科温泉 音無の湯
山を下りてきて全身が汗で汚れている。一刻も早くこれらから解放されたい。
川沿いに構えるこの湯は、そんな私の望みを叶えんとばかりにそこにあった……というのは夢を見すぎとは思うが。
ともかく、湯を求めて私は温泉セットの入ったバッグをつかみ、建物へと転がり込んだ。
料金はおとな一人800円。タオルは別料金。
券売機から出てきた入浴券は、QRコードの付いたハイテクなものだった。
しかも浴場へ向かうには、QRコードを読み取らせてゲートを通らないといけない。こんな湯は初めてだ、どこぞの美術館か沖縄のゆいレールかと思ってしまった。
ゲートを通ると階段を下りる。浴場はその先だ。
人はあまりいなそうなので一安心。ゆったりと入浴できそうだ。
服を脱ぎ棄て、いざ浴室へ。
内風呂と露天風呂があるようだ。
体を流し、まずは内風呂へINだ。
単純温泉(弱アルカリ性低張性高温泉)、毎分103Lの湧出量を誇る源泉かけ流し湯に全身を沈めた。
――あぁ~、良いぞ。素晴らしい。
適温の湯は疲れた体に効く。美肌の湯と由来となるアルカリ性ゆえのぬめりは特有の気持ちよさがある。私はアルカリ湯が大好きだ。
肌の角質が取れきってぬめりが出なくなるくらいまで湯に入っていたくなるが、のぼせてしまうのはもったいない。露天も堪能しなければ。
初夏の涼しさと新緑の景色がまぶしい川沿いに露天風呂はある。
少し眩しい日差しを逃れるように東屋の湯に浸かってみれば、これまた極楽である。
体が熱くなってきたら湯から出て、外気で体を冷やす。これもまた格別で、冷めたらまた湯に入りたくなる。
これぞ温泉のわんこそばである(?)
湯上りにはソフトクリームもいただける。
音無の湯では自家製豆腐を作っているようで、ソフトクリームにも豆乳を使った豆乳ソフトがあって思わず頼んでしまった。
牛乳を使ったソフトクリームとは違う、大豆の風味漂うさっぱりとしたソフトクリーム。これもまた良きである。
体の外と内から音無の湯を堪能させてもらい、私はすっかり『整って』しまったのだった。
……これはサウナの用語だっただろうか。
まあ良いか、気持ちよかったから。
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