見出し画像

3時のドライブ

午前3時。6歳の長男が鼻づまりで辛そうだったから、夜のドライブに連れ出したんです。僕も小さい頃は鼻炎がひどくて、夜に眠れないことが多かったから、長男の気持ちがよくわかるんですよね。

鼻炎で辛い夜は、頑張って眠ろうとすればするほど苦しさが深くなっちゃうから、いっそのこと外に飛び出すのが吉。気分転換した方がすんなり楽になれるんですよ。

小一時間ほど朝方の田舎道をドライブしていたら、ようやく長男の鼻炎が落ち着いてくれて、今はすやすやと眠りについています。

やっと眠れたところを起こしちゃ悪いと思って、僕は今、長男の寝顔を見ながら、車内でこのエッセイを書きはじめました。

人間の身体って不思議なもので、何か一つに集中しはじめると、どんどんそれが深く・濃くなってしまうことってありますよね。

今朝の長男の場合は、まさに「鼻炎」がそれだったみたいなんだけれど、「苦しい」「辛い」「しんどい」という気持ちにぎゅーっとフォーカスしちゃうと、いつの間にかそれから逃れられなくなって、他の選択肢が盲点に入っちゃう。

身体がこういうモードに入っちゃったときって、一人ではどうにもならなくなっちゃうから、誰かのチカラが必要。「大丈夫だよ〜。他の選択肢もあるよ。ほら、ここ。こっち見てみて〜」と言ってくれる誰かがいると、すごく楽になる。

パーソナルコーチとして働いていると、よく「心の行き詰まり」を感じている方からのご相談を頂くんだけど、みんな視野が狭くなっているだけで、「できない」と思い込んでいるけれど、実は他の選択肢があることを「知らない」だけなんですよね。

だから、そういうときも「大丈夫だよ〜。他の選択肢もあるよ〜」ってお伝えしてみる。すると、みんな「あれ?意外とこんなことだったの?」って、「朗らかさ」を取り戻して、またぐんぐん前に進めるようになって行くんですよね。

昨日も、僕の長期コーチングを受けてくださっている方から、「ほんと、不思議です。今まで“できない”が口癖だった私が、自然と”できる”を使うようになりました!」というご報告を頂けて、思わずニヤニヤした僕がいます。

まるで顕微鏡を覗くときのように、ぎゅーっと視野を狭くして「観る」をした方が良いときもあるんだけれど、空を観るように、ふわっと全体を高い視点から軽く観た方が自分を取り戻せるときってありますよね。どちらの視点も使える二刀流な自分でいたいものだな、と思います。

なんだか、最近の僕は、こういう営み自体が自分の使命の一つなんじゃないかな?と思っていたりもします。

ぎゅーっと狭まった世界から、他の選択肢(世界)をプレゼントするような、そんな役割。そう思うのは、きっと僕自身がそういう人生を歩んできたからなんだろうなぁ。

鼻炎が辛い夜って、一生朝が来ないんじゃないか?と思ってしまうほど夜が長く感じるものなんですよね。長男にとって、そんな「辛い夜の記憶」が、「パパとドライブをした夜」というタイトルに変わって、記憶に刻まれていたら良いなあ。そうしたら、僕はまたちょっと自分が生きてきた価値を認められる気がする。

誰かに優しくすることって、誰かのためのようでいて、自分のためだったりもしますよね。

そんな自分の中にある愛みたいなものを、感じさせてくれた長男はやっぱり僕の人生の恩人だなと思いました。

この記事が参加している募集

#育児日記

49,899件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?